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うわさの人物 神霊と生きる人々 (集英社文庫)

価格: ¥630
カテゴリ: 文庫
ブランド: 集英社
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インタビューが軽めにサラリと流している感がするが、しかたのないことかも。 ★★★★☆
 日本全国、北は青森から南は沖縄まで、霊能者といわれる男女九人へのインタビューの内容である。残念ながら、この九名の中で知っているのは木村藤子さんだけだが、木村藤子さんの著作を幾つか読んでいる身からすれば、木村藤子さんのお話のおさらいという感じだった。だからといって、内容が陳腐というわけではないのだが。
 この九名の方々のうち、三名は仮名でインタビューに応じておられる。もしかして、この方はあの方なのかという人もいたが、確証は得られていない。
 まだまだ科学万能の日本社会にあって、こういう霊能者といわれる方々は肩身の狭い思いをされているのかもしれない。もしかして、身近におられるのかもしれないが、その能力を隠しておられる方の方が多いのではないだろうか。
 この手の本は中身がどうのこうのよりも、読み手が自由に感じればよいことであって、どうこう言うものではないと思うので、気に入れば購入すればよいだけと思う。
面白く読めます ★★★☆☆
霊と霊能力の有り無しについては色々あるでしょうが、とにかく面白く楽しく読める本です。最も惹かれたのは沖縄の青年ユタをやってらっしゃる方。出来れば、彼のこれまでの過程をもっと描き込んだノンフィクションを読みたいですね。
谷川健一さんが、そうしたスタイルの本を書かれています。そうしたスタイルでしか書けなかったのだと思います。語り部の語りをそのまま書き起こすような手法が、このテのものには合っているんでしょうね。その意味では、インタビューと前書き・あとがきでは物足りない気もします。
9人の霊能者へのインタビュー ★★★★☆
民俗学・オカルトに造詣が深く、ホラー小説家でもある加門氏。
彼女が9人の霊能者へのインタビューを行います。
霊能は掴みどころがなく、扱いの難しい問題でもある。
加門氏の真摯な姿勢に非常に好感がもてる。

私は霊感がまったく無いし、周囲にもそういった人はいない。
フィクションとしてのオカルト(ホラー・伝奇小説等)は好きです。
しかし、実際のオカルトには否定的な立場です。

オカルトを肯定・否定する是非はともかく、依存することは非常に危険であることを本書を読み再認識しました。

修験者やユタへのインタビューが特に興味深かった。
荻原 規子氏の「RDG」シリーズや池上 永一氏の沖縄を舞台とした一連の小説を読む際の参考にもなると思います。
ぜひ、学校に一冊 ★★★★★
ありがとう!
感謝!

浅見さんの本が出て以来、余計におもっていたのだけれど、
ブログに書かれるこの言葉。
本当はおもってもいなくせに、と、
この言葉に大変な違和感、不快感をおもっていました(ご近所づきあい系で、ひどい私)。


こころが、日本経済の我が我がの流れ、
学校や家庭というストレスでボロボロになってしまった若い世代を守る呪文であったのか?
と、書いてみたり。

若い人〜、読まずにパッとマンガのように流し読みだけでもして〜、
と願った本でした。

なんて、
すごく経済的に切羽詰ると、お金のかかることへの重圧は凄いから、
考えなくしている、という理由だけなのでしょうけれど。

ぜひ、学校に一冊、こそっと置いて欲しいです
(心霊づきあい、も一緒に)。
伯母が学校の先生で、そういう系のこともあったと母から聞きおよんでいるもので。
だって「見えている」のだから ★★★★★
ただたんたんと霊能者たちの語りに耳をすませる、という趣旨だが、どの人の言葉にもすごくリアリティがあると感じた。その霊的なエピソードやご意見の数々に、著者と一緒に聞き入ってしまった次第である。
著者は、一応は「疑い」の観点も常に持ちながらも、霊能者たちが霊や神仏を「ある」という前提で話をすすめていく姿をみて(というか、これで「ない」としたらそれらの話がなされていること自体が超常現象である)、あるいは、実際に彼らの「力」をまざまざまざと見せ付けられながら(とにかく恐ろしいぐらいに人間を「見抜く」らしい)、やはり、それらはこの世界にマイナーなかたちではあるかもしれないが、はっきりと存在し人々の暮らしを普通とはちょっと違うやり方で彩っているにちがいない、という結論におおよそ導かれていく。
「超能力」を備えながらも普段は一般社会人として生活している人から、修験者やユタのような伝統的な霊能者、そして神職につきながらも明らかに別のレベルの霊的パワーに接近することのできる人物など、登場する能力者たちはバライティ豊かである。神仏の存在に関する語り方も、やたら具体的で詳細な説明をする人もいれば、まあ、人間を超えたものがあるに違いないよね、とする程度のやや間接的な物言いをする人もいる。
が、いずれも「見えている」ものは結構ちかいのではないかな、という印象が強かった。それを霊というか神というか仏というかはともかく、何か人間として、とりわけ日本に暮らす私たちとして、究極的には決して見失ってはならないものが、彼ら・彼女らには「見えている」。そしてその一部を我々に決して押し付けがましくなく気づかせようとしてくれている。この点に関してはみな共通している、と思ったのである。