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経済学・哲学草稿 (光文社古典新訳文庫)

価格: ¥680
カテゴリ: 文庫
ブランド: 光文社
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口語文、でも難易度高は変わらず ★★★★☆
 マルクス26歳時の論考(の下書き)です。

 経済は国民経済学=スミス、ミル、リカードあたりを対象に、哲学は主にヘーゲルを
対象にして、青年マルクスの思考が展開されています。
約170年前に賃金で雇われている人(の労働)は商品であると喝破したり、無神論と
共産主義の結び付きを論じている部分に、後日の大作「資本論」の萌芽を見ることが
できます。

 さて、経済面はまだ多少なりとも例えがあるので分かりますが、哲学部分はヘーゲルや
そこに連なるフォイエルバッハ等の考え方を注釈なしに論じている(草稿なので、知らない人
への説明をどうするか?なんてことは考えなかったのでしょう)ので、その辺の知識がない人
(私もです)にとっては、現代語に訳されているにもかかわらず、哲学独特の意味を知らない
ので、理解に苦しむことが多々ありました。
(特に頻出する「疎外」と「外的」に関しては訳者が解説でフォローしています)

 前述したように後日に結びつく点はここそこで見てとれます。マルクスの思想を探る上では
一読の価値有りと考えます。
長谷川宏新訳の『経哲草稿』 ★★★★★
この“古典的”な草稿に就いて、いまさら★いくつでもあるまいが、経済学と哲学の交叉・交流するところから分析された資本主義経済とその下の人間存在に関する指摘は、明快にして示唆に富む。
80年代末に社会人になってみて、その20数年後に『経哲草稿』が新訳で刊行されるなどと一体想像し得たか?

複雑な人間社会、経済社会を公式に当てはめるような単純な視点から裁断することには、常に警戒しなければならないが、理解し得る現象を市場だの見えざる手だのの絶対肯定の不作為に委ねることも厳に慎まねばならない。

<労働者は物質的な生活手段を得るために苦闘しなければならないだけでなく、働き口を得るために、つまり、自分の活動を実現する可能性ないし手段を得るために、苦闘しなければならない>(1.賃金)

このあとに考察される産業と労働のあり方自体には、現在の特異性が本書の分析を時代遅れのものにさせてしまっていると感じられる部分がないこともない。事実そう見える点もあろうが、“時代遅れ”と“古典的”は実は相容れないのだ。

古典的著作と言えども、時代制約を免れることは難しいとはよく言われるところで、これまた事実でもあろう。時代制約を免れる著作なり、思想なりはないと言ってもよい。
しかし、古典的思想は決して時代遅れには該当しない。そのなかに凝縮されたエッセンスなり、方法なりが次代へ受け継がれているからだ。『経哲草稿』では、その直近の例としてマラッツィの『資本と言語』が挙げられよう。それは『草稿』の変奏曲でもあろうが、提示主題は一貫している。そういう書物を古典的と言うのだ。
新しい現実が、この今も、次の今にも続々と押し寄せてくるなかで、様々な現象が行き来する。古典的著作とは、その現象に必ず何らかの光を当ててくれる。時代遅れの思想は、単に新しい現象に何ら関係しない。
いや、実はそもそもいかなる現象にも関係のない、呟きとやらに過ぎないのではないか?

訳者の笑い声が ★★★★★
聞こえてくるような気がします。「労働という基礎が確立されていない議論なんて『ただもの論』に過ぎないですよ。」
マルクス、愛を語る ★★★★☆
 エーリッヒ・フロムが「人間知に対するマルクスの貢献」で引用しているように、ここではマルクスが愛について語ります。自分の愛が相手に愛を呼び起こさない場合、それはひとつの不幸であるという内容です。これを見るとマルクスより今の方が、(違った意味で)「唯物論」的にも見えます。愛が貨幣を呼び起こさないならば、不幸である?とは全くいっていないようです。愛はおそらく上部構造に属すると思いますが、人間にとってとても重要なものであると捉えられていると読めます。
 そのほか、労賃の向上は奴隷の報酬改善だ。そうではなく労働者の品位、人間的な規定が大切だ、ということも説きます。人間性を大切にしています。
 あと印象に残ったのは(多分資本主義化では)「労働がペストのように忌みきらわれる」(書かれたのは19世紀らしいですよ)。「労働からの逃走」は古くからあり、資本主義に不可避であったのでしょうか。
 正直にいってしまうと内容は私にとっては難解すぎました。ただ、彼に対する印象は変わりました。
マルクスのノートから ★★★★★
 初期マルクス研究のテキストとなった本書は、いろいろと問題があるけれども、「疎外」という概念は、現在も通じる考え方だと思う。
 疎外された労働という概念は、マルクスを「救う」新しい概念であったが、アルチュセール等によって、「本当のマルクス」ではないと批判された。しかし、現代の労働が、自己実現や積極的な仕事というよりも、苦痛で生きるための手段という側面が強いことは、否定できない。ただ、そもそも「労働」の本質が、「疎外された」活動であるならば、いくら社会を変えたとしても変わらないと世界を否定することも可能であろう。どうしても、ノートを無理やり編集したものであるために、多くの解釈を生み出してしまうから、「疎外」もまた多くの形を生み出すだろう。
 ちなみに御茶ノ水書房から『パリ手稿』が出ている。