奇書
★★★★★
価値ある文章というが、それは以前の版でこの本は訂正されたり追加されたり太字になったり文体が変わったり、難解
同じテーマで書き直していたり
奇妙な本が売られてる物だ
『文学』として
★★★★★
経済学、あるいは思想の書としてではなく、僕は一つの「文学」作品としてこの本を読みました。言わば僕の目にはある種の「小説」として『ドイツ・イデオロギー』は映るのです。それも最良の「小説」体験として。そのように眺めるとこの本は実に面白かった。僕はこの本を読む事によって様々な“しがらみ”が自分の中で解体していく心地よさを味わいました。すなわち「イデオロギー」あるいは「教養」として何かを理解したり何かの役に立てたりする為にではなく、「マルクス」という一人の人間を通して世界を読み替える装置としての「文学」体験。問題の今日性というより、問題に対するマルクスの視線こそが僕には最大の魅力だったのであり、僕はマルクスのその眼差しをこそ体験したのだという思いがしています。それこそ「真面目」に読んでしまったら僕は最後まで読み通す事もしなかったでしょう。「小説」のように楽しむ事、それが僕の「マルクス体験」の最大の意義でもあったわけあり、その事によって百凡の小説作品を凌駕する読後感を味わう事ができたのです。何やら取り留めもないレビューですいません。ただ単に僕が「不真面目」であるだけなのかもしれません。
読み物というよりは、理解するための本
★★★★☆
もともとマルクス・エンゲルスの生前には刊行されず、二人の死後、草稿・原稿の
集積であったものを編集刊行したわけですが、問題はこれらの草稿をどのような形
で出版するかということで、編集者それぞれの意図によってそれぞれ違う「ドイ
ツ・イデオロギー」が出版されるわけです。
この本はマルクスを
・マルクス主義の経典としてではなく古典的遺産として
・マルクスを完成されたドグマとしてではなく未完の体系として
捉えようとする「一つの試みの書」として高く評価することができます。
ちなみに、そういった姿勢をとる訳者達にとって、整合性の取れたものとなるよう
に不完全・余計なものを省き、あれこれ「恣意的」な編集を行った旧訳のアドラツ
キー版は偽書とさえ断じています。
また、補訳者の言葉によると、河出書房版をベースに文庫化したものだが、単なる
文庫化ではなくその後の研究成果も反映されているとのことです。
この本に対しては復元の仕方に批判があるようで、無論、この本が無謬だとか決定
本とか言うつもりもないですし、読みづらいのは確かですど、過去のマルクス読解
の教条性、硬直性の歴史を鑑みると、これを文庫にしたということ自体結構すごい
ことかと。
ちなみに1994年4月に出版が正式決定、そして8月に訳者の廣松氏死去。合掌。
権威主義をそうと気付かせずに蔓延させた問題の本
★★☆☆☆
廣松渉存命中は、この訳の元になった河出書房版を参照しなければ、この本を読んだことにならない、というハナシがまかり通っていた。「資本論」や「経済学哲学手稿」より読みやすく、ストレートにメッセージが書かれており、天才に垣間見られる独特の輝きが、その断片性と相俟って、古くから人気のあった本。よく知らない人は、廣松の主張だけ斜め読みして、あたかも他の版や翻訳が、全然違っているかのように思っているが、それは間違いである。配列などが大きく異なったり、確かに少し趣は違うが、出てくる文章やメッセージは、概ね同じ物ばかりだ。もちろん、未完成の遺稿だけに、翻訳の段階で、通常の翻訳よりぶれが大きいともいえるが、もとより、本としての体裁をなす前に放棄されている以上、著者の「真意」なるものを想定することは出来ない。おまけに、そもそも本書は、「ドイツ・イデオロギー」の部分訳でしかない(原本は何倍もある巨大な本である)のだから、断片的なメッセージがきちんと訳されていれば、それ以上の正しさや優劣を競うのは、極めて不誠実な発想である。その上、廣松は原本を見ていないことが判明しており、この点からも、文献学の基本を逸している以上、他の翻訳をとやかく言えないはずである。行間欄外の書き込みを、通常強調に用いる太字を勝手に使用して表記するなど、隠れた意図的な操作さえ行われている。追補書き込みが、強調したい点だとは何の保証もないし、未完成である以上、もし本にしていたら、大きく書き換えがあった可能性さえある。エンゲルスの「フォイエルバッハ論」の中にある本書の該当部分に関する論述から、これが「最終版」である、との根拠を広松は得て、その上で、本書の編纂の精度を問うているわけだが、そもそも、本にしない状態の草稿を以って、「本にする最終状態」と等価に見て話を進めることは、全然理に適っていない。結局、不確定要素が多すぎるのに、とやかく理屈をつけて精度を競うと言うのは、自然科学から見れば信じられないでたらめさで、この分野が早晩一般人から見放される(すでにそうなっている)所以だ。翻訳としては合同出版の花崎訳が最良であり、あれを勧める。古い三木清の翻訳は、小林秀雄に絶大な影響を与えており、「様々なる意匠」の有名な件は、そこから出ている。ほんとうの文化とはそういうもので、偏狭な内ゲバ精神では何も出てこないと思う。
廣松哲学の原点
★★★★★
本書はかつて河出書房新社から発売された旧版を岩波が文庫として出してくれたものです。他のいかなるドイツイデオロギーよりも適訳となっております。