万葉集の近江路をゆく、義仲寺に芭蕉を追想する
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琵琶湖畔で柿本人麻呂の詠んだ歌「淡海の海夕波千鳥…」の絶唱がある。近江大津京の荒廃しているのを嘆き悲しんだ歌である。歴史の面白さは、政治的な権謀術数と複雑怪奇をよそに、この新都・近江大津京を舞台に、日本古代の文化は大きく花開いたということである。明るい舞台に並ぶのは、額田王、鏡王女を初めとする才女たち、柿本人麻呂、山部赤人などの若き才士たちが思い起こされる…
義仲寺にその名のごとく源義仲の墓と言われるものがある。確証はなく、伝義仲墓とされている。その右に並んで芭蕉翁の墓が建っている。元禄7年10月12日大坂で亡くなると遺言どおり川舟でここまで運ばれた。「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」の辞世の句碑より 「木曽殿と背中合せの寒さかな 又玄」の句碑がいいと著者は言う(雅)