もとはNHK教育テレビの「人間講座」のテキストとして書かれたもので、さらに足りない部分を補注で書き足している。この補注は、引用だったり、打ち明け話だったり、感想だったりするのだが、むしろここが読みどころといってもいいほどおもしろい。
司馬遼太郎は『ノモハン』を書くために生き証人に取材もし、資料も読み込んでいたが、結局、書くことを断念した。なぜか。
小説のなかの登場人物にしたいと考え、取材もし、いくつもの秘話を聞き出していた須見新一郎という人物がいた。ところがその人から絶縁状を受け取る。「文芸春秋」誌上で元大本営参謀(作戦課)の瀬島龍三と対談したというのがその理由だった。この絶縁状のことについては、一度だけ、司馬さんの口から聞かされたという。半藤一利は補注のなかで、司馬遼太郎が『ノモハン』を書く意欲をなくしたのはこのためではないか、と推察している。(詳しくは同書で)。
「司馬さんは作品の上で、つねに颯爽とした人を愛し、付き合った。合理的な精神をもった先見性のある人たちに限りない友情を抱いたと思います。たいして清張さんは、策謀の多い奴、権力を悪用する奴、金の力にものを言わす奴、そんな悪人と付きあうことに何の痛痒も感じなかったんです。」
編集者として間近に接してきた著者の愛情が、この本を後味のいいものにしている。本好きのなかには、司馬派と清張派があるような気がするが、この本を読むと、対照の妙で、もうひとりのほうにも興味がわいてくるだろう。