著者は日本映画学校に在籍し、映画の世界から文学の世界にやってきた人である。トリュフォーの「アメリカの夜」と同名の小説で群像新人賞を受賞しデビューした。(しかし、この小説は当初「生ける屍の夜」というロメロのゾンビ映画のタイトルであったことが本書では明かされている)初期の作品には映画そのものを表そうとした作品もある。このように阿部と映画とのつながりは非常に深い。
その彼の初の映画評論として注目される本書であるが、確かに映画評論としては彼の発言は、全体としては示唆でしかなく、具体的には直接体験を進めるものでしかない。(もちろん優秀な評論がないわけではないが。)しかし、それはあくまで映画評論という立場からの評価であって、この書物の本質ではない。
現在として文学の世界にいる阿部が映画を評するとはいかなることか。それは、映画に対しての阿部和重の視点を表明することに他ならない。いわば、この書物は現在"最強の純文学者”である彼の視点を読む書物なのである。
その点においてこの本のタイトルが"覚書"に留まっていることは非常に示唆的である。
"阿部和重という視点から映画の世界を覗く" それは非常にスリリングな現在体験となるのではないだろうか。
今回大部の本書を通読したが、その印象は余り変わらず、「この著者は封切を待ち遠しく思ったりした経験が、
希薄なのではなかろうか?」との感も受けた。この著者の持ち味かも知れませんが、語り口に余り熱気が感じられない。
ただ、文章は生硬過ぎることなく、読み進め易いと思う。