なぜ、このタイトルが使われたのか、は最後の最後になって分かるのですが、その使われるセンスの良さと同時に構成の妙にうなってしまいました。
ポストバブルを迎えた彷徨えるスピリットに、この小説は爆弾のように投げ込まれます。観念的で読みづらいことは確かですが、この小説は観念そのものを謳っているので、こういった書き方には当然必然性があるのだろうと思います。
『アメリカの夜』は、どうしたってそのときでなければ書けなかった必然性をもった観念小説であります。