類書にない抜本的批判
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小泉構造改革の進行の中で「官から民へ」「国から地方へ」というスローガンが本格的に追求された。しかし、ホリエモンの事件、村上ファンドの事件がおきると、マスコミはさも「以前から分かっていたかのように」批判する。曰く、「墜ちた資本主義の偶像」と。
耐震偽装問題でも、建築基準法の98年の改正によって、行政の仕事が民間化され、競争と儲けが導入されていた。ここでは、依然として行政(自治体)の事務であることが明確にされ(最高裁判決)、横浜市への国家損害賠償請求が可能であることになった(具体の請求は棄却された)。
この問題をよく考えると、事務は一体、民間のものになっているのか、行政に残っているか?不思議な感じがする。行政に責任があるのならば、民間の行った仕事の責任(リスク)だけを行政が負うことになるし、その場合、何でそのようなリスクを抱えて民間に仕事を投げる必要があるのか、という疑問がわく。
こんなことを「そもそも」の議論から、説いて深めてゆく本書は、これまでのシンプルな「民間批判」でもなく「行政批判」でもない。資本のグローバル化を背景にして、民間化の「必然的」流れを踏まえつつ、なおかつ、行政として責任を持つ=公共性のあり方について、全編を通じて解明しようとしている。
これまで読んだ「類書」の中では、もっともレベルが高い。同時に、具体的な対象批判になっているので、分かりやすい。行政のプロや、自治体関係者、事業関係者には必読の書だと思う。議員もこの程度の本は読んでから、議会の論戦に入って欲しい。読んで損にはならないと思う。