待ってました、クック節!!
★★★★☆
もう何年前になるでしょうか、「緋色の記憶」を読んだ時にはメガトン級の衝撃を受けました。
ああいう完成度の高い作品ばかり読んで暮らせたら、それはもうなんとすばらしい人生でしょう。
美しいミステリの芸術品。
おそらくクックには誰もがあのレベルの作品を要求しています。
ですから、やっと出た新作「沼地の記憶」も、どうしても比較せずにはいられません。
まずは無理無理つけたようなこの日本語タイトルに減点1!
なにがなんでも「記憶シリーズ」に結びつけようという意図がとほほです。
・・・でも、これはクックのせいではないですね(苦笑)。
冗談はさておき、読後一夜明けた私の感想は、「夏草の記憶」にすごく似たエンディングだわぁ〜、ということです。
「記憶シリーズ」の中でいちばん残酷なオチは、まちがいなく「夏草の記憶」のそれだと思います。
そして、「緋色の記憶」が純然たる悲劇であったのに対し、「沼地の記憶」は悲喜劇です。
主要登場人物は、途中から、教養があるのかないのかわからなくなります。
読んでいて「バッカじゃないの、この人たち・・・?」とつぶやいてしまったことも。
クライマックスの、シェイクスピア劇を思わせるような父と息子の手に汗握る一場面の緊迫度には鳥肌が立ちましたが、その後が・・・・
えぇ〜、そうくるのぉぉぉぉ? なんでぇぇぇ〜??? (悶)
なんだか、「着地で尻モチ」な感じが惜しくてたまりません。
村松さんの訳でなんとかならなかったかなぁ? 無理か?
ともあれ、クックは私にとって神様にちかい作家です。
次はぜひ、「緋色の記憶」のような、いやいやもっとすごい、至高の傑作をお待ちしております。
沼の中には何かいる
★★★★★
初めて、クックの作品を読みました。普段、ステファニー・プラムやフロスト警部大好きの私にとって、「間違えて、買っちゃた」というのが、最初の感じでした。でも、どうしても手放せなくて、一気に読んでしまいました。いったい、沼の中には何が隠されているんだろう。そんな気持ちと、随所に、クックのウイットが配されていて、思わずニンマリさせられてしまうからです。文章も品があって、嫌味がありませんでした。登場人物も、みなもしくはほぼ、ふつうの考え方で特別立派という人はいなくて、心の弱さを持っているのです。 悪 を描くことで、人の心のやさしさを感じさせてくれました。 いい仕事してますね。
飛ぶことを諦めた鳥たちの道
★★★★☆
人が抱え持つ「ままならなさ」は、その人の願望と一体である。例えそれが、どれだけ傍目に無茶に見えても。
幾つかの「そうであってくれたらいいのに」という願いが、現れては壊されてゆく。
登場人物は懸命に客観と抑制を保ちながら、自らの願いを解体してゆく。
そして、それが出来なくなった時、事件が起こる。
この小説は「あの小屋」への道と同じく、車ではまっすぐ行けない道だ。
ひとたび手に取れば、自分で分け入る他に道はない。
主人公の教師は、振り返れば確かに偽善者かも知れない。
ただ、だからといって「まぁ君たちはせいぜい分相応に生きなさい、それが賢いんだから」などと、
未だ現代の教師たち・子供たちに苦言を呈したくなる熱を秘めた彼が、言えただろうか?
答えはノーだ。だから、苦しいのだ。
未来を諦めたかのような子供たちと、否応なしに再会させられる狭い街。
教師という職業の辛さは、教えている途中だけの事では決してないのだ。
T.H.クックとは。。。
★★★★☆
国内のミステリー好きにお馴染みのT.H.クックの最新刊。『緋色の記憶』を初めとした記憶4部作は有名。人物、心理描写、造詣に長けた作風、昔と現代をカットバックさせた手法は本作でも健在。デニスルフレンなど、人間の行動、心理を中心に描くミステリーが多くなった昨今、まさにその代表格が彼と言えよう。フーダニット、冒険、派手なサスペンスを読みたい読者には敬遠されるストーリーであろう。但し、本さkは地味な作風ではあろうが、90年代以降、国内で発表された翻訳ミステリーの例えばJディ−バー、Mコナリーといった動のミステリーとは対極の静のミステリーの代表格、対極をなす存在感である。
名作<記憶>シリーズの哀切が今よみがえる
★★★★☆
MWA賞を受賞した『緋色の記憶』をはじめ、原題とは異なるが日本で<記憶>シリーズとして刊行された4部作が有名な、そのシリーズと同じ『・・の記憶』という邦題名をつけられたトマス・H・クックの邦訳最新刊。
アメリカ南部の小さな町の旧家の老人が、1954年に起こった痛ましい事件を回想する物語である。当時‘わたし’は24才の高校教師で、おどろおどろしい歴史的事件を話しては生徒の関心を惹く特別授業を受け持っていた。ある日‘わたし’は、生徒に「悪人」についてのレポートを課す。クラスでも目立たないエディ少年は、女子高生を殺害し、自らも拘留中に別の受刑者によって殺された父親を題材にする。エディのレポートを補助する形で事件の調査をする‘わたし’だったが、それは50数年を過ぎた今もなお‘わたし’の心をさいなむ悲劇をよぶ。
クック独特のゆっくりとした語り口は、ときどき記述される当時の弁護士や検察官との法廷でのやりとりのフラッシュバックを交えながら、事件の周りをためらいながら反芻する。
‘わたし’と名家の当主である父親との関係、スラム街に住む生徒たち、また同じスラム地区の女教師との淡い恋愛などのエピソードを重ねながら、‘わたし’の独白は避けえない破局へ向かってじわじわと進行してゆく。
本書は、ドラマチックな展開や、派手なアクションや謎解きのスリルはないものの、名作<記憶>シリーズを彷彿させる哀切は読んでいてなぜか心にしみて、他の誰でもないクックならではの文学的な小説世界を味わうことができる。