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英語教育が亡びるとき―「英語で授業」のイデオロギー―

価格: ¥2,940
カテゴリ: 単行本
ブランド: 明石書店
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必読の書です ★★★★★
日本の英語教師必読の書です。
金儲けが目的の底の浅い素人に、英語教育がいかに振り回されているかが、よくわかります。
数ある言語の中の一つである英語を、日本で学ぶとはどういうことか、きちんと考えるきっかけを与えてくれる本です。
惜しむらくは、もう少し丁寧に文章を見直してもよかったかと思う部分がありました。
例えば、結構目に付いた「だとすれば」という表現。
仮定の話で論を進めている印象を与えてしまい、揚げ足を取ろうと待ち構えている御用学者、御用教員にそのきっかけを与えかねません。
私は、英語教育界に一刻も早く警鐘を鳴らさなければ、という著者の思いと受け止めましたが。
ともかく、誠実であろうとする英語教師に勇気を与えてくれる、誠実な本です。
多少なりとも英語に興味のある方は是非一読を。
批判のための批判からは何も生まれない ★☆☆☆☆
本書を通読してい私が感じたことは、「それで、著書は一体何がしたいのか、ま
た出来るのか?」ということである。現在の文科省が進めようとしている英語教
育に対して著者なりのかなり感情的な強い反感があることはよく分かった。確か
に、なるほどと思わせる議論を展開している箇所もある。しかし、それにしても
内容が余りにも偏っており、ハードカバーで出す本というよりも、著者個人のブ
ログを読んでいるような錯覚に陥ってしまう。単なるストレス発散のためだけの
不毛な議論はやめて、建設的な意見を述べるべきではないか。いくら批判を繰り
返していていも、そこから何の解決方法も生まれてこない。これからの英語教育
をどうしていくべきなのか、その具体的方策、及びその理論的、実証的な裏付け
を示すべきである。
説得力のある文とデータで貴方の価値観は変わる! ★★★★★
そのセンセーショナルなタイトルに現れているように、著者は現在の英語教育がいかに破滅の道を辿っているか、多彩なデータと文献をもとに鋭くかつ丁寧に論証していく。著者は決して英語教育の存在価値そのものを否定しているのではなく、日本の教育現場の現状を踏まえたうえで、そのあり方を具体的に示してくれている。本書を読んで、自分が如何に多くの先入観を持って教壇に立っていたかがわかった。まさにイデオロギーである。それらに気づくことができただけでも読んだ価値は十分にあった。

私は同著者の「英語教育原論」を先に読んでから本書を読んだが、逆でも問題はないだろう。ただ本書を読んだら前著も読みたくなるのは必至である。別に著者の回し者ではないが、お金のある人は一度に両方買ってしまったほうが手っとり早いだろう。
英語教育関係者必読書だと思います。 ★★★★★
鹿児島県で高校の英語教師をしています。

官製研修ではディベートが唯一,最高の英語指導法のように言われているけど本当にそうなのだろうか?
新学習指導要領の「英語で授業」は可能なのだろうか。また,その効果はあるのだろうか?

本書はこのような普通の英語教員の悩みに的確な答えを与えてくれます。
一気に読んでしまいました。読後には胸のすく思いがしました。それは、私たちを苦しめているものに対し,私たちに代わって著者が痛烈な批判を展開しているからです。そして靖国問題やメディアリテラシーのことなど,一見すると直接英語教育とは関係ないと思われるようなことが書かれてありますが,世界のあらゆる負の事象がどこかでつながっていることに気づくはずです。

著者は「知の巨人」チョムスキーの翻訳を通して,アメリカの本当の姿を伝えています。
私たちが,昔憧れていたアメリカの姿はそこにはありません。私たちは英語教育を通して,アメリカ追従の人間を生産しているのではと恐ろしさを感じます。

英語関係者だけでなく一般の方々にも是非読んで欲しい本です。「英語教育が亡びる」どころか,日本が,世界が亡びかねないことを英語教育の視点から明らかにしている筆者は,まさに日本の「知の巨人」と言えるのではないでしょうか。このような方々が注目を浴び,日本の教育界が,政治が見直されることを望みます。

最後になりますが,私は英語で欠点をとる生徒に苦労していると思っていましたが,彼らを特別視することはやめにします。英語教員が言うのもおかしい話かも知れませんが、英語ができなくても生きていけるのです。そして,彼らに無用なコンプレックスを抱かせている教育界は猛省しなければならないのです。
英語は何のために学ぶのか、もう一度考えさせてくれる本。どこから読んでも面白い。 ★★★★★
 私は本を読むときはいつも「まえがき」と「あとがき」から読み始める。なぜかというとそこはふつうは短くてその本に一番入りやすい場所だからである。またそこを読むと本の全体像もよく見渡せる。筆者が本文を全て書き終えてから書くことが多いからだろう。

 この本もそこから読み始めた。「まえがき」は「はじめに」という名前であるが、やはりすべてを書き終えてから書かれている。わずか6頁であるが、まずここからがとても面白い。「英語の先生だから英語で授業するのは当然でしょう」という俗説に対して筆者はテレビやラジオの韓国語やフランス語の講座はその言葉で教えているのかと問い返している。筆者はその前にチョムスキーの言葉を引用して、俗論に反対するのは賛成するよりも十倍の時間が必要と述べているが、この鋭い問い返しだけでもその俗論はぐらぐら揺らぎ始める。

 だれもが見ているはずの日常風景から筆者はどうしてこのような場面を切り取ることができるのだろうか。それは筆者がつねに英語だけではなく他の言語も自分の視野に入れているからだろう。(前著『英語教育原論』第1章にその大切さが書かれている。)そのような物事の捉え方は「生徒にとっての英語は、私たちの習った第2外国語と同じなのです」(本書p.236)という言葉にも表れている。私がかつて授業崩壊に苦しんでいたとき筆者の本(p.326に一覧リスト)に出会いその発想の大胆さに驚いたことがある。そこにはすべての単語の意味を与えよと書かれていたからであった。そしてそれを読んで始めて私は自分の大学時代のドイツ語の授業を思い出したのだった。

 本書にはいま紹介した俗論のほかにも「英語は小さい頃から始めたほうがよい」「英語さえ知っていれば世界が見える」「英語力は経済力である」といった俗説の矛盾が次々と明らかにされている。英語教師だけではなく、国語の先生にも、さらには英語教育に関心がある親さん方にも是非読んでもらいたい本です。