インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

「英語が使える日本人」は育つのか?―小学校英語から大学英語までを検証する (岩波ブックレット)

価格: ¥504
カテゴリ: 単行本
ブランド: 岩波書店
Amazon.co.jpで確認
3人集まったことで逆によろしくない ★★★☆☆
問題提起としては意味のあるものになっていますが、あまりにもまとまりの悪い本になっていて大変残念。
この手の本としては、著者の一人っである山田 雄一郎が書いている「英語教育はなぜ間違うのか」がお勧め。
よもや自分が岩波のブックレットを買うとは…。 ★★★☆☆
斎藤先生の名前に引っ張られて購入したら岩波ブックレットだった。あわわ。内容は他のレビュアーの皆さんのご説明通り。斎藤先生は招待された手前話に加わってらっしゃるが、「早期英語教育」やらには当然興味がない。非礼にならない程度に発言しつつ、結局は「幻想を壊さなきゃいけない」「無理だと言い続けるしかない」と本音を言っている。
英語が使える日本人は育つのか、というタイトルだが、育つのではなかろうか。実際育っているのではないの?英語を使う日本人ビジネスマンなんてたくさんいる。この「英語危機感」の出所が私にはまずよく分からない。煽って誰かが商売しようとしているに違いないのだが、穴を掘って埋めるくらいの経済効果はあるのか??
ちなみに私は英語教育は私立エリート校で頑張ればいい、と思っているのだが、これは非常識な考えなのか。公立学校なら上中下のレベル分けをするか、組合がウルサイところは放っておくか。どちらにしろ、英語が出来なきゃ食ってけないという国になれば日本人だろうと日本風ピジン英語を喋り出すはずだ。商売がかかっていれば外国人だっていくらでもそれに付き合うのだ。もしかしたらそれは象牙の塔の方々が心配なさることでもないのかもしれない。
読後感として、「日本人」などと千差万別の学力集団のいったい誰を指すの分からない抽象体を巡って懊悩するのは時間の無駄なのではという感覚があった。「平均的学力の日本人」を指すとして、平均的学力ってどれくらいだろう?偏差値50?しかし偏差値50で難解言語は無理だ。無理なものは無理なのだから無理は無理なんであって無理だから仕方がない。私が数学有能者に決してなれないようなもんである。無理なことがたくさんあるのだ。この世には。
結局のところ、東大の実学系学部の生徒たちを一人残らず地獄の「英語・虎の穴プログラム」にぶち込むとか、もっとリターンが明確なことを国策としてやった方がいいんじゃないか?と思ってしまった。東大生なら取り敢えず「記憶力」と「根気」の初期設定は確実なのだし。その方が国民全体の益にもなるはず。
英語教育全般についての3人の鼎談 ★★★★☆
現在広島市の小学校英語教育計画の策定委員を務めている山田雄一郎氏、主として生成文法
の分野で著名な言語学者の大津由紀雄氏、英文学の研究者でありながら、日本の過去の英語
達人の勉強法についても研究をなさっている斎藤兆史氏の3名による、2002年の戦略構想
「英語が使える日本人」についての対談をまとめたもの。

話の内容は、戦略構想から端を発し、小学校英語から大学英語まで英語教育全般にわたって
いる。若干、小学校英語についての話の部分が多い。

話が面白く、どの分野においても深い造詣のある大津氏は、小学校教育では言語の普遍性
から生じる個別性を気付かせることが重要であることを説き、斎藤氏は外国語学習には
苦労がつきもので、「楽して楽しい」だけで英語が身につくといった、近年の安易な
英語教育論に警鐘を鳴らしている。山田氏はしかし、本書の中で主張していることと、
実際に広島市で行おうとしている教育内容との論理的整合性がところどころ分かりにくい
箇所があり、主張が見えにくかったのが残念である。

3者3様で話は展開していき、当然一つの意見としてまとめるべき本でもないので、
全体としてのまとまりや収束感は感じることができなかったが、著名な3者の共通点を
言うのであれば、大津氏が最後に述べているように、「母語と外国語には共通の基盤が
あり、まず、それを確固たるものにしないと、母語も外国語もあやしくなる。まず母語教育
が重要である。」ということであろう。

ブックレットなので、廉価であり、簡単に気軽に読める一冊である。個人的には大津先生の
ファンでもあり、今までの著書同様、斎藤先生の意見に共感できるため、楽しく読むことができた。
良識ある広島市 ★★☆☆☆
著者3人の本を読んだことがある人には内容面でほとんど新しさはないし、対談も生ぬるい。主張に反対するわけではないが、こんな鼎談本をつくるくらいなら、世間の英語習得についての誤解をといて、啓蒙するパンフレットをつくりつづけたほうがいいんではと思うけど(だからその意味であえて低い評価で)。

ただ一点、広島市の小学校英語の主要な委員に山田氏がなっているのは意外だった。広島市も山田氏が必ずしも小学校英語なんていらないと思っているのを著書から知りながらも、丁寧に小学校英語をたちあげたいという思いで、世間にまどわされず理性的に判断し、あえて山田氏を委員にすえたようだ。これぞ良識。文部科学省も、世間のプレッシャー(小学校からの英語に賛成が多数だったこと)に惑わされず、必修化の無意味を世間に説得してほしかったものだが。
生徒にとって余りに残念なご主張だと思います ★☆☆☆☆
「英語の習得は難しく、習得に時間がかかる」というのは本当でしょう。

だからと言って、「特にオーラルやライティングの英語の習得は個々人の判断でクラス外でやってくれ」というのは英語の先生としてはあまりにも残念な言だと思うのです。中学からメジャーな教科として長年履修し続けて(私立中、高校であれば週7時間から10時間というのも珍しくありません)、一流大学の大学生でさえ英語が片言レベルのままで良いとはならないと思います。

習得の難しい外国語なら難しい外国語相応の習得レベルに達してもらう、で良いではありませんか。こんなに膨大な時間とエネルギーを英語の教育に割いて、スピーキング能力もライティングの能力も片言レベルのままというのでは教育という名に値するのでしょうか。

英語のような難言語習得のために、初級・中級・上級の習得レベルに達するのにどの位の時間が必要か(ETSの習得スケールのような初級・中級・上級のよりクリアーな定義も必要です)、生徒のポテンシャルによってどのくらいの差が出るのか(私の経験では中レベルの学校と上レベルの学校では四倍くらいも習得効率が異なる感じです)。そしてより効果的なティーチングメソッドは?それをサポートする教材のあり方とは・・・。「生徒の英語の習得レベルをいかに上げるのか」といった「生徒のための英語教育」へのエッセンスを無視した議論はやはりいただけません。