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物語 ストラスブールの歴史 - 国家の辺境、ヨーロッパの中核 (中公新書)

価格: ¥945
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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EUの「要(かなめ)」の都市に到るまで、幾度となく「したたかに」変貌し続けた街の歴史を生き生きと解き明かす良著 ★★★★★
 フランス南部、プロヴァンス地方を舞台とした、短編集「風車小屋だより (岩波文庫 赤 542-1)」と、その中に収録された短編を戯曲化した「アルルの女 (岩波文庫)」でも知られる、フランスの作家、ドーデの一番有名な作品は、実際には、ドイツとフランス、双方への帰属を繰り返したアルザス地方・・・その中核となる特権的自治都市が「ストラスブール」であるが・・・を舞台にした「最後の授業」という短編だったろう(どうもドーデにはこうしたフランス「辺境地域」趣味のようなものがあったのではなかろうか? 

 「最後の授業」は、昔国語の教科書に掲載され、誰でも知っていた。本来、ドーデの短編集、「月曜物語 (岩波文庫 赤 542-3)」に収録されている。しかし、あのストーリーで、普仏戦争に敗北して再びドイツ語圏に戻ることを嘆き悲しみ、ドイツ語を「汚らしい言葉」と侮辱し、「フランス万歳!」と黒板に最後に大書して立ち去るのは、確か、パリから派遣された教師ではなかったか? ところが、多くの住民たちが実際に日常話していたのは、ドイツ語圏の方言という方がよほど適切な「アルザス語」だったのである。

 この点に注目すると、あの「最後の授業」という短編は、非常に「皮肉な」読解が可能な作品なのだともいえる。もっともドーデ自身はフランスで「学校教師」の経歴を持つので、「フランス万歳!」と大書した教師の側に己れを同一化していた可能性が高い。

 アルザス地域は、ドイツより遥かに中央集権的な国家、フランスに何回となく「領有」されつつも、容易には「同化」されないしたたかさを持っていた。少なくとも、ライン川がスイスにまで至る途中の「国際港」としての南北の主要交通・運送路としての意味を持ち、ウイーンとパリを結ぶ街道という陸路(おかげで、マリー・アントワネットも、そして少し遅れてモーツァルトも、ストラスブールに滞在することになる)との「十字路」にストラスブールが位置する限り、ルイ14世も、革命後のフランスも、ストラスブールにある固有の「特権」を与えざるを得なかったと言える。

 アルザス地方、特にストラスブールは、その意味で、フランスとドイツに挟まれ、歴史に翻弄された悲劇の地などでは決してない。むしろ、その固有の存在意義を両国に認めさせて「サバイバル」してきた、固有のアイデンティティを持った地域に他ならない。

 第2次大戦後、フランスに安定して帰属するようになって以降は、フランス語教育が浸透し、現在アルザス語の話者そのものは減少し続け、むしろ復興運動すら生じているらしいが、その件については本書では深入りしてはいない。

 しかし、現在欧州議会が置かれたこの都市の、そうした長年の「身の処し方」について、自身、ストラスブール大学で博士号をお取りの著者が、心を込めて、わかりやすく解説した、非常な良著であると思う。
「欧州の首都」の歴史を活写する、言葉で綴るフレスコ画 ★★★★★
フランス東端、国境の街ストラスブールはしばしば仏独争奪の的となった。

歴史を繙くと、司教座都市でありながら司教権力から独立した「都市共和国」として

高度な自治権を享受したストラスブールは

30年戦争では宗教上の理由で神聖ローマ皇帝と対立するも

皇帝直臣としてその敗北に連座を余儀なくされ

先ず同市を除くアルザスが、次いで同市自身もフランスに編入される。

市民の最大関心事は特権の保持であり、それはアンシアン・レジーム下では守られる。

税関はヴォージュ山脈に置かれ、ストラスブールはライン対岸に開かれていた。


革命による混乱、それを終熄させたナポレオンへの傾倒

そして反仏同盟の占領政策への反感はあったものの

市民は「仏独両文化の架け橋としての使命を自任」していたが

墺普戦争後のプロシア擡頭に募らせた不安は仏普戦争の敗北により現実のものとなる。

軍民4千人近くの犠牲者を出し、街を、建造物を、文物を灰燼に帰せしめたプロシアの蛮行は

人々の心に暗い翳を落とす。

加えて帝国のアルザス軽視と評すべきサヴェルヌ事件の不条理な顛末や

第1次大戦後の仏復帰に際しての市民の歓喜を考えると

著者の言う独第2帝国領有期の"否定的評価の再考"は首肯しかねる。


ナチスによる悪夢の5年を経て再度フランスに還ったこの街は

戦火に引き裂かれた欧州の和解の象徴として

今や欧州議会、欧州評議会、人権裁等を擁する欧州の首都の一つである。

フリムラン元市長の「私は欧州人である。アルザス人であるが故に」という

未来志向であると同時にこの地の歴史に立脚した言葉に

アルザスの、ストラスブールのアイデンティティを垣間見る。


イル川に抱かれたこの美しい水の都を再訪したくなった。
国家の辺境から欧州の中核へ ★★★★★
 1953年に生まれ、経済学修士号とストラスブール大学歴史学博士号を持つ研究者が、2009年に刊行した本。下アルザス都市ストラスブール(シュトラースブルク)はラインの支流イル川の河畔に位置し、アルゲントラーテと呼ばれた古代以来、多様な民族が定住してきた。982年には神聖ローマ皇帝から司教都市として法人格を与えられ、市民の自治拡大によって1263年には帝国自由都市の地位を確保し、1349〜1482年にはツンフト支配の政治機構が整備された。この間、この都市はライン川上流域の水運の特権を獲得して商業都市として発展し、近世には出版業の中心地、大学の所在地、ルター派の都市としても知られた。しかし1681年、ルイ14世の進軍によって、旧来の特権を承認するという条件で、この都市はフランス王国に併合される。以後、この都市は要塞都市化しつつも、降伏条件を盾に独自の特権を維持し、守旧的な態度をとり続けたため、フランス革命による中央集権化の動きには、フランス国歌の誕生の地でありながら反発し、ユダヤ人嫌悪も根強く、工業化には出遅れた。1871年にはこの都市は再度軍事的にドイツ帝国に編入され、ライン経済圏に再編入されて経済発展を遂げる中、二重文化を肯定的に見る「アルザス意識の覚醒」が見られたが、第一次世界大戦は市民を独仏間で引き裂いた上、再度この都市をフランス領とした。その後ナチス占領期を経て、最終的にフランス領となったこの都市は、周辺町村と共に都市圏共同体を形成しつつ、現在はむしろ独仏和解の象徴として欧州議会を誘致してEUの首都の一つとなり、また越境的地域統合も試みている。このように、本書は多様なエピソードを紹介しつつ、この「国家の辺境にしてヨーロッパの中核」である都市の激動の通史を、ドイツからもフランスからも距離を置きつつ描き出す。