野口は「とりあえず」という副題にあるように、バッファーを設定すること、すなわち、とりあえず受け入れたものを置いておく場所、「受入バッファー」、そしてとりあえず捨てておく場所としての「廃棄バッファー」の設定を提案している。それがいわゆる情報のフィルタリングということだろう。そしてそれをパソコンのデスクトップとごみ箱とアナロジーさせている。
よくよく考えてみると、私自身も廃棄・受入バッファーを自然のうちに設定してきたように思え、そうしたことが大系立てて理解し、また著者と通じるものがあるということを確認できたことが指摘できよう。
野口氏の主張は、パソコン等が全く未発達だった時代を知っていることとの比較から、パソコン時代・情報化時代になって何が最も効率的かつ重要なことであるかを見事に指摘している。そしてそれは大蔵官僚としての経験と海外大学院在学で補強されているといえよう。
しかしもって、このような方法論を考案しなければならないということは、まさに野口氏も指摘しているように、スペースの制約であり、そしてこれは日本において決定的な制約である。つまりスペースに対するコストが極めて高いのである。
電子化された情報であれば、その制約から逃れられることとなるわけで、効率的な電子化が進展すれば、日本の歴史的制約であるスペース、Tyranny of Spaceから解放されるのであろうか。しかし、この問題に対する認識の低さと、効率的な電子化への道はあまりにも遠いのが現状であろう。ただ、野口経済学で、一度、日本の近代経済の発展とスペースの問題について検討してほしいものである。