福澤王国の原点
★★★★☆
あれは、『レディ・ジョーカー』が出た頃か、高村さんが、ご自分を不器用と言っておられる記事を見掛けた。
まさかと思ったが、今回、福澤王国シリーズ全三作を読み進めていて、それは本当だと思った。
だからこそ全てをしなくてはならない結果が、この大作だ。
また、順番を逆に読んだことは、わたしの場合は功を奏した。
結局は第一作目の『晴子』が、全作の原点なのであり、遡る形で十二分に備えての取り組みだったことから、
理解が進んだと思う。
はっきり言えば、全作が示しているのは、ただ、「無明」である。
最終作『太陽を曳く馬』に至って尚、そこに救いはない。
言い方を変えれば、高村さん自身が、救いを拒んで、無明から出ようとしていない。
それは、氏が、余りに真面目な人だからだということも、添えておく。
晴子のしたたる青春、結婚、そして老い。過酷な近代日本を生き抜いた女性史でもある。
★★★★★
高村薫を読み込んできたファンとしては、これまでの作品と比較してあまりの作風の変化に、最初は違和感を覚えるかもしれない。だからこそ逆に、長年のファンも、この作品から初めて?村薫の小説を読む人にも、斬新な筆致が味わえるだろう。
本書で主人公とされる晴子の出生から青春時代、結婚、そして老いに至るまで、戦前戦後の過酷な歴史の渦に翻弄されたといっても過言ではない。ひとりの女性史として捉えるにはあまりにも重いテーマであるとともに、登場人物のひとりに語らせている外地での戦争体験が、筆者の史観をうかがわせる。
この本の登場人物は非常に多く、また入り組んでおり、しかも先述の通り、登場人物自身が重苦しい時代を背負っていくことを余儀なくされる。読書の際は、登場人物相関表、および年表を自身で作成しながら読み進むと、後々の助けとなろう。
初夏に一時帰国した際、北海道に飛んで日本海側の町、初山別を訪れた。かつて鰊の群来で栄えたというこの町で、晴子が永遠の恋人となる人物に出会った様子を、荒々しい日本海を眺めながら想いをゆくらせた。ついで青森にわたり、西津軽の七里長浜を訪れた。七里長浜は、下巻の最後で晴子の息子・彰之が対峙する海でもある。彰之の母への想いを推しはかりながら、暮れなずむ日本海を目の当たりにしていた。