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イルカを食べちゃダメですか? 科学者の追い込み漁体験記 (光文社新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 光文社
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こういうルポを待っていた ★★★★☆
こういうルポを待っていた。インサイダーとして漁師の中に入って仕事も寝起きも一緒にした人でないと書けないことばかり。そして何よりの強みが、著者が鯨類学者であることだ。
知識と経験は相反しない。知識のある人は経験のある人と会話ができる。経験のある人は知識のある人を尊重する。漁師と研究者は仲間である。

著者の太地の漁師への熱い敬意と信頼が、本書のあたたかなトーンの底流をなしている。しかし決して情緒に流れることなく、きちんと科学者らしく、太地にやってくるクジラの種類、古式捕鯨以来イルカ漁までのクジラ漁の方法の発展史、水銀問題、南極海調査捕鯨についての見解と、今日この問題に関心のある人が知りたいことのすべてに分かりやすく要領よく答えている。

私も著者と同じく、南極海調査捕鯨は調査に純化すべきで、沿岸商業捕鯨こそを再開させるべきという意見だ。その理由も本書を読めば納得してもらえるでしょう。
地産地消でイルカを食べるのはイケナイことなのか? ★★★★☆
捕鯨という文化がある。世界にもあるし日本にもある。

だが、The Coveというプロパガンダ映画で太地町は一躍有名になった。何も残虐に殺したくてイルカ殺しをしている訳ではない。江戸時代からクジラ漁をしていた町だが、IWCのお陰でクジラをとってはいけなくなって、漁業が成り立たないので、イルカの追い込み漁を40年前に始めたという。

追い込み漁ゆえに、命を断つ場面はカメラに収めやすい入江で行われる。だから外国人がそのシーンだけ撮影してプロパガンダに仕上げた。

漁師が海で商売するのは当たり前だ。しかも水産庁により厳密な頭数による漁獲量制限がある。クジラ漁から続くイルカ漁という文化が息づく地域で、それを残虐だから辞めろと言われても、地域の人は困るだろう。

実際の漁はどういうものか。イルカやクジラはどんな生き物なのか。太地に学生時代に研究と水産庁のバイトで何年も通った過去がある著者が見たイルカ漁、そしてイルカ漁を始めた経緯、過去の鯨漁の姿と変遷を淡々と描く。

イメージ映像で批判する前に、現実を知ろう。そして私は鯨も海豚も好んで食す。え?どちらも分類上は同じで、大きさで便宜上分けている?知らなかった。
太地の捕鯨と捕鯨人の姿 ★★★☆☆
太地町でどのように捕鯨をするか、解体するかから始まり、同町の捕鯨の歴史、捕鯨業界の展望を描いている。イルカの群れを入江に追い込んで浜に乗り上がったところで大動脈を切断して絶命させ、陸に引きずり上げるという漁法、釣り上げたらただちに解体(解剖と呼ばれる)作業で分配し、市場に出されるという。グリーンピースで問題になった、乗組員の持ち帰り分は伝統的慣習に基づいた非商業的流通であり、太地町の三分の一程度がその恩恵を被っているのではないか、と著者は見る。愛らしいイルカの写真と並べて出てくる解体の写真は残酷さを感じるかも知れないが、印象に残る。

400年の伝統を誇るだけあって、著者の紹介する無骨で昔気質の男たちがかっこいいと感じるとともに、船という運命共同体で生死を共にする漁師の町だけあって、鯨肉の分配、町の祭事や合同旅行など強固なコミュニティが確立されていることが本書を読むとわかる。15年間通って信頼関係を深めた著者でなければ見えてこなかった多くの太地町の現実がよく見える。一方で、日本全体の捕鯨についても傾聴すべき議論を展開する。下落している鯨肉価格について、「調査捕鯨をやめるか、調査捕鯨の肉をただで卸すかしたほうが良い」と高級化か安価な食を目指すか、どちらかにはっきりさせないと、消費は伸びないと指摘している。

捕鯨問題に一定の関心を持っていた割に、太地町の捕鯨についてほとんど何も知らなかったので、本書を興味深く読んだ。調査捕鯨のあり方についても、著者の考えはひとつの参考になりうると思う。
義によって書く。その意気やよし!真の捕鯨文化への愛に充ちた一冊。 ★★★★☆
著者は「追い込み漁が叩かれるなら、私は義として立たなくてはならない。」と書く。独善的な捕鯨反対論・イルカ漁反対論にはよらず、かと言って、それらに対抗するために反対論以上に独善的で偏狭なナショナリズムに走った捕鯨推進論にもよらず、「水産庁が守るべきものは、南極海捕鯨ではなく、足元の小さなイルカ追い込み漁なのだ。」と書く著者の「勇」と「知」と「愛」に、私は深く共感する。私もまた、イルカ肉を常食とする地域で育ったのだ。

著者はまた、「捕鯨といえば、捕鯨砲を使ってナガスクジラなどの大型クジラを捕ることだと考えている人は多くいる。」とも書く。それは逆に、戦後盛んだった南極海のノルウェー式母船式捕鯨が、実は我が国の捕鯨文化の伝統とは(「何の繋がりもない」とまでは言わないまでも)、その広がりの中のほんの一部であり、むしろ中心を大きく外れた傍流に過ぎないことを意味している。この事実を認識し、日本が守るべき捕鯨文化とは本当は何かを正しく理解しない限り、捕鯨反対論も賛成論も、共に軽薄な感情論に過ぎない。

だから本書は、捕鯨反対論者はもちろん、むしろより多くの捕鯨賛成論者にこそ読んで欲しい。パッチワークのドキュメンタリー映画やテレビ報道を見たり、あるいは軽薄なグルメ漫画を読んだ程度の知識では、むしろ我が国本来の捕鯨文化が分からなくなるばかりからだ。(浅薄な捕鯨推進論は、むしろ我が国の捕鯨文化を破壊する。)

ただし義憤が強いあまりか、水族館でのイルカ飼育の正当化や水銀汚染問題、鯨類の捕食に反対する英米人の精神文化に関する部分などでは、著者自身も「非科学的な話」と断らざるを得ないような、“勇み足”が散見される(いくらテーマが勇魚でも、「勇み足OK」とは行くまい(^_^;;)。これさえなければ満点の評価だったものを、非常に惜しい。一度でも「オマエのカアちゃんデベソ!」と言ってしまったら、それまでどんなに真っ当な主張をしていても、後は子供の喧嘩になってしまうからだ。

「泣いて馬謖を斬る」気分で(苦笑)、星4つにどどめたい。
「捕鯨は日本文化である」ではなく、「日本には捕鯨文化がある」という立場は重要だ ★★★★☆
 沿海小型捕鯨業とイルカ漁業が許可されている港は、現在でも太平洋沿岸を中心に日本では複数存在している。そのなかでもっとも有名なのは、「クジラの町」を掲げる和歌山県太地町であろう。太地町には町立の「くじらの博物館」もあり、江戸時代以来の古式捕鯨は、形を変えながらも小型鯨類やイルカ追い込み漁として現在まで太地町には生きている。

 本書は、この太地町で15年間にわたって、フィールドワークの一環としてイルカ追い込み漁の漁船に複数回乗せてもらった、元水産庁調査員のイルカ行動学の研究者が、イルカを含めたクジラ類と太地町との400年以上にわたる密接なかかわりを、捕獲から解剖、食肉流通(・・それも市場外流通)など多方面にわたって書き記した記録である。
 内容は多岐にわたり、しかも随筆的な書き方なので、まとまりを欠く感がなくもないが、「捕鯨は日本文化である」という立場ではなく、「日本には捕鯨文化がある」という立場を前面に出したことは評価していいのではないかと思う。文化とはあくまでもローカルなものであり、食文化も含めた捕鯨文化は必ずしも日本全体が共有する文化ではない、あくまでも地域限定のものであるからだ。

 ただし、おそらく出版社がつけたのであろう、売らんかなという意図が見え見えのタイトルは、はっきりいってミスリーディングである。
 日本での公開に先立って物議を醸した、アカデミー賞受賞映画『コーヴ』の向こうを張った内容かと思ったらさにあらず。この本を手にとった読者がおそらく期待するであろう、イルカを食べたという話は全然でてこない。食べた話がでてくるのはクジラばかりである。

 とはいえ、タイトルに引っかけられた読者も、最後まで読むことをすすめたい。そのうえで、付録の太地町ガイドを参考にして、太地町にまで足を運んでもらい、ぜひ「くじらの博物館」を訪れて欲しいものである。
 「太地町の文化」であるクジラ文化について、「捕鯨は日本文化である」といったナショナリズムに基づいた声高な主張からではなく、太地町という土地に根ざしたローカルな文化である「捕鯨文化」の意味を感じ取るキッカケになれば、著者冥利につきるというものだろう。
 こう理解すれば、映画『コーヴ』の評価も自ずから定まるというものではないだろうか。