生原稿から太宰の息づかいを聞く
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近代文学の数ある名作のうち、生原稿が残っているものは、ごく限られている。
「人間失格」の直筆原稿は、太宰の死後、遺された家族の手で、太宰本人が愛用した着物の生地を使い表装された和綴じ本4冊から直接撮影されたもの。今回その原稿が寄贈されている日本近代文学館(東京都目黒区)の協力により成った。従来綴じ込まれていて見ることのできなかった部分の撮影にも成功。本書をひもとけば、誰もが原稿用紙の全体を閲覧でき、太宰本人の訂正、書き込みのすべてが見られるようになった。本物もさることながら、居ながらにして生原稿に触れ、その息づかいから、太宰文学の真髄に迫れるのは、至福であると言える。
持っているだけで価値のある本
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この作品をはじめて読んだのは中学生の時でした。夏休みか何かの宿題で読書感想文を書くために、名作に挑戦したのはよかったのですが、その内容にはものすごい衝撃を受けてしまって……。おそらく私の人生において、あれほどの衝撃を持って迫ってきた小説には、後にも先にも出会っていません
自分を評価できないというか、存在価値をなかなか見いだせずにいる自分は、あの当時から私の中に潜んでいました。そんな私が、この作品と見事に共鳴してしまい、読み終わる頃には恐ろしくなってしまった記憶が私の脳裏に焼き付いてしまい、未だに私の頭から離れようとしません。
もちろん読書感想文はきちんと書いて提出し、国語の先生にはそれなりの評価をしてもらい、「大きくなってからまた読んでみるとおもしろい」みたいな言葉を頂いたのですが、あれから今まで、もう一度『人間失格』のページをめくることはありませんでした。
(以上、「ブログ版・雌狐との闘い ★もっと自分の人生に正面から向き合わないと……。」から抜粋)
本書は、私にとって、所持するだけで価値のある本だと思い、このたび購入することに決めました。実際にどの程度ページをめくるかは分かりませんが、大切に扱っていくつもりです。
高校生の頃に戻った気分で読み進めました!
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同じ、「直筆で読む」の夏目漱石の「坊ちゃん」は全然読めませんでした。
文字が達筆すぎるというのか、現代人が簡単に読み進めることができる文字ではなかったんですね、漱石の直筆は。
しかし、太宰の直筆は現代人でも十分に読むことができます。
旧かな、旧字も出てきますが、読み進めることができる範疇でした。
明治時代の漱石と、昭和の太宰・・・時代の違いを感じました。
太宰の直筆は、読んでいるこちらをドキドキとさせます。
活字よりもリアルに作者の息吹が伝わってきて、高校生の頃、自分の人生がよくわからなくなって太宰に惹かれていた頃を思い出しました。
肉筆が、「この文章は、自分に呼びかるために書かれている」・・・そんな錯覚を覚えさせるからです。
読者の内面を写し出す太宰治という作家は、肉筆で読むということに適した作家なのでしょう。
(ただ、かなり読みやすい文字なので、本当の太宰という人は、高校生の頃の私が想像していたような無茶苦茶な人ではなく、理性的なところもある人であったろうとも思いましたが。)
できることなら、太宰の他の作品も肉筆で読んでみたくなりました。