これはテクストではない
★★★★☆
漱石の直筆原稿がカラーで、しかも新書で読めるというのは嬉しいことである。
おそらく、漱石研究の世界には
漱石本人>…>漱石とごく親しい>漱石と同じ時代に生まれた≧漱石の生きた明治時代の文化・風習を詳しく知っている>漱石作品のファン>漱石作品をちょっと読んだことがある>自分のことを猫だと思っている
という序列のようなものが存在している。このようなありかたを、「作家論パラダイム」と呼ぶことができるだろう。
『坊っちゃん』を新潮文庫で読んだだけの人よりも、直筆原稿で読んだ人の方がより「分かっている」、「読めている」気がするだろう。漱石から直接『坊っちゃん』について話を聞いた人などは、なおさら「分かる」ように思えるだろう。「作家論」とはそういう価値観のことである。
実際は漱石本人だって自分のことをどれだけ分かっていたのかあやしいが(これは本当である。人は自分の全てに責任をとらされているだけであって、自分の全てを知っているわけではない)、とにかく世の中はそうした価値観で動いているのである。
そこで、本書の出番だ。手軽に、「漱石ヒエラルキー」を一段上ることができる。
「直筆原稿を丹念に読んでいる」というのは、「明治時代の文化・風習を詳しく知っている」に匹敵するぐらい漱石に「近い」だろう。
事実、漱石の自筆原稿には活字に反映されていない用語法があるのだという(たとえば、漱石は「左右」と「右左」をつかい分けているらしいのだが、活字ではすべて「左右」に統一されてしまっている)。
作家論パラダイムのことはさておき、集英社にはどんどんこのシリーズを増やして欲しいものである。
初めての読書体験
★★★★★
「坊っちやん」を読むのは実は初めてである。この名作を、こうして漱石直筆の文字によって読むというのは、普通の読書体験とは全く異なるものである。
幸い変体仮名や行草書を一通り読むことができるので、一文字一文字を目で追いながら、頭の中で朗読し、同時にストーリーを追っていった。すると頭の中では普段の読書とは異なる活動が要求されるので、読むのに時間もかかったが、ストーリーや表現の一つ一つの頭への残り方が今までにないほど深かった。
後の「こころ」「明暗」ほどではないにせよ、さりげなく伏線が張られていたり、震いつきたくなるような表現の妙が随所に見られたりして、実に興味深く読み終えることができた。
このような読書体験は、これが最初で最後だろう。
ただし、帯の内容は全くいただけないことを付記する。「決して」を「けして」と書き、そのまま出版してしまう不見識。
コツをつかめば意外に読める
★★★★★
小説家の直筆原稿(の印刷だけど)を目にできるというのは、いいものですね。
変態仮名のパターンを覚えてしまえば、意外にすらすら読めます。わたしは音読してみました。「・・・だから、・・・だから」の繰り返しが結構多く、これは現在だと悪文とされてしまう文章かもしれません。
ストーリーは単純明快、学園ものの王道です。でも「マドンナ」ってこんな人でしたっけ? 記憶していたよりもイヤな女でした。記憶の中の「マドンナ」はドラマか何かで見たのだったかも。
よ、よ、読めない・・・(爆)
★★★☆☆
高校生の頃、漱石の本を読んで、「きちんと意味が理解できない。大人になってから読み返さないと駄目だ」と思って、幾年月・・・
ようやく、漱石作品も理解できる年齢になったと思って最初に手に取ったのが、この本でした。
駄目です、直筆の漱石、読めません!
夏目房之介さん本作解説の中で、「読みなかった」と書いているくらいですから、普通の人が読めないのは当たり前なのですが・・・
何十年ぶりかで漱石を読み返す第一作としては、間違った本を手にとってしまいました。
これは「作品を読む」目的の一冊ではなく、すでに作品を読んだ人が、「漱石の息吹」を感じるための一冊だったんですね。
新書で手軽に買えるものだったもんで、間違ってしまいました。
漱石著作を色々と読んだ後でこの本に戻ってきたいと思います!
『坊っちゃん』の素
★★★★★
オリジナルとは何か?と考え始めると結構ややこしいですよね。
例えば、夏目房之助が解説で触れていた中上健次の全集では、原稿は圧縮されて改行がなく、時には電話で編集者に書かせることもあったので、本人が推敲して作品として認めている前提で単行本がオリジナルとして採用されています。
僕としては、いろんな『坊っちゃん』をそれぞれの趣として楽しめるといいなと思っています。
音楽だったらRemixとでも言いましょうか…。
実際、この本に取り上げられている問題以外にも装丁が違うだけで一つの作品が色々な顔に見えてきます。
僕は『坊っちゃん』が好きなので何度か読み返していますが、その時の気分によって出版社やサイズを選んで読んでいます。
余談ですが、どうせなら『草枕』や『二百十日』と一緒に『鶉籠』として文庫化したり、初期の短篇も『漾虚集』のタイトルで文庫本があってもいいのになあと思うくらいです。
で、この本ですが、なんだか手書きの楽譜のコピーとデモテープを一度に手に入れたみたいですごくドキドキします。
まるでミュージシャンがこれからレコーディングするための音楽の素材のようです。
だからこの『坊っちゃん』は、
元の『坊っちゃん』
というより
『坊っちゃん』の素
なのだと思います。
ミュージシャンが音楽の素(素材)を手探りであーだ、こーだ考えながらレコーディングする、あるいは子どもが泥をこねていておもむろに何かが出来上がる、あるいは河原で小石を拾う、…そんなイメージが浮かんできます。
何より素晴らしいのはこの本がきちんと読むことを目的として作られていることですが、おかげで僕はさっそくこの贅沢な遊びに参加しているところです。
(ただ、帯のコピーはいただけないと思います。)