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神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)

価格: ¥735
カテゴリ: 新書
ブランド: 光文社
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帝都物語とセットで読み、さらに出典に遡ればよい! ★★★★☆
荒俣宏さんが書いた「帝都物語」は、小説という形態で、神社や街の成り立ちを紹介する作品ですが、この本はノンフィクションとして神社の成り立ちを紹介しています。
帝都物語を読んでいた時に感じた、「?」が説明されていたので、「ああ、そういうことか」と納得しました。
ただ、短い新書ですから、食い足りない部分は残ります。
読んでいて、逆に疑問が湧く項目も出てきました。
そこは、自分で本書に紹介されている出典で遡ればよいのではないかと思いました。
帝都物語を読んで感じた、疑問を解く鍵になる本(出典を知る機会になる本)でした。
偶然ではなく、必然ということを説明して欲しい。 ★☆☆☆☆
 夏至、冬至のラインを引いて、そこに連なる神社、仏閣が並んでいることを著者は偶然と表現するが、天体の動きを重要視した古代人にとって必然でしかない。
 古文書も多々引用されているが、その割りには説得性が低い。

 見た目は研究者らしい文体だが、読み手としてはなぜか不完全燃焼のままであり、こういった類いの本は最初から最後までじっくりと読み上げるのだが、今回は飛ばし読みをしてしまった。
 何か、腑におちない。

 たとえば、鶴岡八幡宮を紹介しているが、この旧官幣中社の八幡宮を紹介するのならば勧請元の岩清水八幡宮に触れなければその意味が理解できないと思うし、そもそも八幡宮の本宮である宇佐八幡宮を解明しなければ八幡宮の根本、役割がわからないのではないかと思う。
 そして、厳島神社を紹介しているが、せっかくその中に宗像三神とまで書いているのならば、宗像三神とは何か、それがどこにあって、そこは著者の言う夏至、冬至とどのような位置関係にあるのかを説明しなければ厳島神社の意味が理解できないのではと思った。
 つまり、歴史、神道、初歩の天文学を知らない人が書いた神社の話になってしまっている。

 まるで、世紀の大発見のように冬至、夏至の自然暦を説明しているが、30年以上も前に具体的に説明していた学者もいるので、特段、目新しいものではない。発行するまえに、更なる文献の調査、研究を行なってからでも遅くはなかったと思う。二番煎じを読まされても、おもしろくもなんともないのが正直な感想である。
 これは、著者だけを責めるわけにいかず、編集者、出版社の責任も大きい。
 神社が、なぜそこにあるか。
 それは、はるか昔の人々が必要にかられて故意に建てたものだからである。「神社の系譜」というならば、その根本にまで踏み込んで欲しかったし、必然性についての根拠を知りたかった。





怪しさ満点な表現 ★☆☆☆☆
読んでいて失望がどんどん膨らむ本だった。そして著者の語彙の少なさは完全にこの本を悪くしている。
ともかく「可能性を示唆していると思われる」という最低の表現が多い。これって普通の日本語で書くと「かもしれない」になってしまう訳で、論拠の浅さを自ら露呈している。
この本の中で自然暦が全編話題になっている。それは間違いなく神社作りには使われてきたことで、ご神体となる山の位置はきっちり最初に規定されているはずだ。なのにそこにまでさも発見のように真東に置かれていると書かれると、この人、何も知らないのかな、と考えざるをえない。それ、前提じゃないの? そして東西(春分、秋分に当たる)、夏至、冬至の太陽の出入りこそ神社の知らなければならないことなのだから、当然目印として神社を作る時に定めるはずだ。ただし、視界の範囲で。
ここまでの理解があれば著者が力説する、「偶然とは考えにくく、計画的に配された可能性は高いと思われる」という意見はもう愚鈍だ。だから、そうやって作るもんなんだって。
知りたいのはなぜ、その対象をそこに見えるように配したかである。そこになると突然著者の声は小さくなり、自明のことのようになってしまう。そこにこそ事実があるはずだ。歴史的に明らかな秀吉と家康の関係のところだけはまともな記述になっているが、後はとんでもなく怪しく終わってしまっている。そこに何何があるという記述ではだめなのだ。なぜそうしたのかをきっちり語ってくれなくては。
意外と知らないことばかり ★★★★★
全国の主要神社が取り上げられており、地元の鶴岡八幡宮や実家の近くの出雲大社が載っていたので、軽い気持ちで購入しました。

読んでみたら、意外と(失礼!)面白かったというのが実感です。
全国の主要神社が建てられた場所には意図的なものがあり、それは自然暦というものに基づいていると理解できるということが述べられています。
その元になっているのが天照大神信仰にも現れている太陽信仰。それが方角として「春分・秋分の日の日の出・日の入りの方角」「夏至の日の出・日の入りの方角」「冬至の日の出・日の入りの方角」が大きく関係しています。
それらが土地の神奈備と呼ばれる山や神木、石<盤座(いわくら)>といったものとあいまって、神社の配置が一見関連がないように見えていますが、そこには上に述べたように意図があるそうです。
中には仮説の域のものもありますが、古事記、日本書紀や土地の歴史資料にあたり、その解釈からの仮説ですので説得力があります。

個人的には、一番最初に扱われている神田大明神はインパクトがありました。
東京の鎮守である平将門がどのように扱われてきたかが非常に良くわかるとともに、その怨念が利用されてきた歴史が非常に面白かった。

今度は、これを手にもって、いろんな神社を訪ねてみたいと思います。
面白い! 頑張れ、文学部! ★★★☆☆

 神社の「地理的な位置関係」について書かれた本。神社がそこにあるのには理由がある。何故ならそれらは意図的に「並べられて」いるからである。これは面白い!

 本書によれば、日本には太古より太陽信仰があり、太陽の昇る方角、沈む方角に特別な意味が与えられていたという。そのため、類縁関係のある神社(あるいは神体山の山頂)の位置関係を調べてみると、夏至、冬至、春分・秋分の、日の出・日の入りの方角にぴったり合うように配置されている例が数多くあるのだという。1つの神社につき重要な方角は6方向あるわけで、各地に蜂の巣状の神社ネットワークが形成されているというのである。

 この本、神社についての本なわけだが、それ以上に「日本史の本」という印象の方が強かった。何故なら、神社を建てるのは当地を治めている権力者であり、神社の位置関係の謎を解き明かすには当地の歴史を紐解かなければならないからだ。著者の文章スタイルは私としては苦手な部類に入るのだが、読み物として引き込まれてしまった。これまで日本の歴史に受験科目として以上の関心を抱いたことがなかったのだが、生まれて初めて「日本書紀」なり「古事記」なりを読んでみたいと思った。純粋に面白そうなのだ。

 自分としては意外な変化なのだが、本書や『「大きなかぶ」はなぜ抜けた?』(小長谷(編) 2006年 講談社)等、文学部系の本を最近面白いと思うようになってきた。文学部系の研究は(世界そのものを直接変えることはないとしても)人の世界観を変える。それが面白い。