日本人の宗教観には柔軟性があるんだ、と思いたい
★★★★☆
神というと、キリスト教、仏教、イスラム教などの一神教をイメージしがちですが
日本では八百万の神が長く日本人の生活に密着していたために、一神教が主流に
なることはありませんでした。一神教から見ると多神教は未発達の信仰形態と捉
えられがちですが、日本の神々の物語は体系だって一貫している印象を受けました。
経典も教祖もいない日本人の信仰形態は欧米人に理解されることは難しいと思い
ました。それゆえ神道が彼らには脅威になって戦後教育から神道を一切排除した
ことからも伺えます。おかげさまで日本の神々について知るには大人になってか
ら自らの興味から主体的に知ろうとしなければ、知ることが出来ない類の情報と
なっています。
何冊か同様の書籍を読んで思うのは日本人の信仰心は宗教というより、習慣に
なってしまうほど日本人の生活に浸透しており、空気のように存在している存在
なのかと思います。身近にある当たり前のものなので異質な宗教も、新たなもの
として受け入れてしまうのでしょう。日本の宗教観についてよく節操がないとい
う声を聞きますが、私が思うところ柔軟性があり、ひとつの神にこだわらないお
おらかさが世界に類を見ない、無宗教、多宗教同居が成り立ち日本を個性的に見
せているのだと思いました。
入門書に最適
★★★★★
祀られている神々はカタカナばかりでチンプンカンプンな名前ばかりですが、この本を読み進めていくと知らず知らずに抵抗なく受け入れられていくのが不思議。
再登場する神様も少なくないのでいつの間にか暗記しているものも。
しかも日本の神々の由緒が「古事記」「日本書紀」などに記された神話とかなり整合性が取れているのに驚きます。
今までは由緒・謂れなんて好い加減に語られているものだと思ってきましたが、寛容すぎる部分もなくはない神道の世界も堅固な秩序があるものだったのです。
また本書では未踏の域ですが、古代史にロマンを見出せる素晴らしい切っ掛けにもなるでしょう。
古代大和朝廷が確立したときには既に地方の神々(出雲や鹿島など)は神的な権威者であったことが分ります。「出雲政権禅譲説」は初めて知りました。
それは私たちがまだ解明しきれていない、大和朝廷の勢力拡大の営みがダイナミズムに満ち溢れたものであったことを想像させてくれます。
日本人にとっての「神様」
★★★★☆
外国の宗教関係の歴史、宗教に端を発した戦争、紛争、あるいは、宗教と政治のかかわり、更には、日曜礼拝などの敬虔さなど、宗教と人々の関係を見ていると、極めて、「濃い」関係というか、日常生活に、溶け込んだ関係が見えてくる。
日本で「神様」という時に日本人は、キリスト教などの信者でない限り、「八百万」の神様という漠然とした存在を考えているが、その招待とか、存在について真剣に考えたことはない。
同時に、有名な神社の初詣の数は、半端ではないが、普段、その神社の「神様」を日常生活の中で、考えたり敬ったりすることもないと思う。
この極めてファジーな、日本的宗教の謎については、他にも何冊か紹介したが、この本は、神様と神社という存在を初歩の初歩から教えてくれる。
しかし、この種の本を読めば読むほど、日本人は、「宗教」について、諸外国のような「熱狂性」がないだけ、平和だったのではないかとする思えてくる。