抽象論の部分は使えない本
★★★☆☆
「広範な分野にわたる執筆活動を展開」する1950年生まれの日本古代史研究者が、2003年に刊行した神道の入門書。本書の特徴を列挙すれば、第一に神道を「いっけん宗教ではないようにみえるが、じつはよりよい人間社会をつくり上げるために不可欠な宗教」、固定された戒律で「人間を縛るのではなく」「人間の良心に全幅の信頼をおく人間中心の宗教」、「すべての生き物が楽しくすごすありさまが、「産霊」とよばれる最高の境地であるとされる」宗教と定義し、この「神道の核となる部分は、縄文時代以来変わらない」とすること、第二に記紀の記事の中から、「天皇支配を正当化する古代の国家主義的発想や外来の思想をとり除くことによって、神道の本質を知ることができる」という、除去による純粋化の志向が本書には強く見られること、また本来共同体単位の祭りを重んじ、自然の恵みに感謝するものであった神道が、中近世には次第に商業化し個人の現世利益を追求するものとなったことに対しても、批判的であること、第三に他国のアニミズムとの共通性、一神教の不自由さについて表層的にふれるだけで、他国の宗教史について真剣に検討した形跡が見られないこと、第四に「日本では人びとに安定と繁盛をもたらす能力をもつ者が指導者に推された」ため、「日本史上の政権交代は、よりよい時代をつくりうる者が古い体制を倒してそれに取って代わるかたちでなされてきた」という発言にも見られるように、安易に日本を美化していること、第五に神道史と神道儀礼の記述はそれなりに興味深いことである。結局神道とは、教義が曖昧で何とでも解釈できるがゆえに、他の思想と無原則に結びつくことができ、それゆえに支配にもいくらでも利用されうること、したがって悪影響を全て「不純物」である他の思想のせいにすれば、何とでも美化可能なものであるということが分かる。
神社の形と内なるものが分かる入門書
★★★★☆
私は鳥居について、諸説あることは知っていました。実際に鳥が彫りこまれたトーテム様の棒が村の入り口に立つ中国雲南省や朝鮮半島の「鳥の置物」など、実際に写真などで見ると大変魅力的に映りました。これはひょっとして朝鮮半島や雲南の風習が鳥居のルーツかもしれないと無批判に信じ込みそうになります。しかし、これは村に魑魅魍魎が入り込まないように守る「魔除」であり、「鳥居」の役割である聖域の入り口を表し、あるいは聖なる山域を拝み見る場所を示すものではありません。自然崇拝の対象である山や海を拝む場所と定め、鳥居と類似のものとしては、アイヌ民族の「イナウ・サン」が素人考えでは似ています。
この本の説は、ルーツは不明としながら『通り入る』が語源ということを紹介して、少なくとも朝鮮説や雲南説は採用していません。うむ、この本は良い本かもしれないぞと思いました。
この本は、日常生活をおくる中で、一般教養として神社の勉強をする人には、安価で基礎的資料も多く良書だと思いましたが、少し気になることがあり星4つになりました。
神社の本というのは、考古学の書のように物証主義でなく、歴史書のように史料・原文主義でなく、書かれていることにあると思います。そうですね、学問の分野でいえば民俗学の領域に入るのでしょうか。
民俗学はKJ法のような科学的手法を駆使して、現在残っている人の暮らしの形を見定めて、地域的な広がりや時間的(歴史的)な深みを研究していくものですが、時間を遡ればそれだけ曖昧な部分が増えてきます。その曖昧な部分をどのように推論あるいは確定して行くかは、学者や研究者の腕の見せ所でしょう。
この本は、神社や鳥居など付帯施設等と人の心や舞や作法等について、地域的な多様性やそのルーツと歴史的な経緯について書かれている。その容量はこの本の装丁からして必要十分なものだと思いますが、この本が学術書とするならば、一部に断定的な記述が見うけられ気になりました。私のような素人が対象だとしても、出来るだけ断定的な記述を避けて、読書後に余韻を楽しみながら、もっと考えさせられるような神社の本であったら、最高に良かったと思います。
余韻を楽しむといえば、私が幼かった頃祖父に連れられ神社にお参りした時、
「参道の中央は神様のお通りになる場所だから、人は道の端を歩くものだ」
と教わりました。この本を読んで、やはり鳥居は神様の領域を示す神様の入口であり、参拝する人々も頭を下げて入る場所だったと祖父の言葉を再認識させられました。私にとって、『通り入る』又は『通り居る?』良い思い出と重なる本でした。しかしながら日本人の心を、今の時代、私の子や孫に同じように伝えることが出来るかどうか、あらためて考える契機になった一冊の本でもありました。
神道についての知識を得られるが、?な議論も目に付く
★★☆☆☆
この本から神道についてのいろいろな知識を得ることができます。ただ、文中のいろいろなところで、頭の中に「?」が出てきてしまうようなところも目立ちます。そのような部分は、著者の考えを断定的に書かれているため、僕の頭の中に「?」が出てきてしまうのだと思います。
たとえば33ページには、「しかし、国学も国家神道も神道の本質を的確に伝えるものではなかった。ゆえに、終戦後、国家神道は行われなくなった」とあります。そうなんでしょうか? そういった面もあるのかもしれませんが、GHQが国家神道を禁止したためという面もあるのではないでしょうか?
また、59ページから60ページにかけては、「そこで、朝廷は庶民の間に語り伝えられていた太陽神にまつわる南方系の神話を日本神話に取り込んだ」とあります。これも本当にそうなんですか? その当時の朝廷に聞いたんでしょうか? きっといろいろな資料を基にそのように「想像」しているんでしょうか、あまりに断定的に書きすぎているように思います。
ただ全体的にはいろいろな神道に関する知識が得られるし、いろいろ興味深い知識も得られるのでよかったのですが、上記のように想像の域を出ない事柄(と個人的に思う)をあまりに断定的に書いてあるので、星二つとしました(上記のような箇所を読んだ直後は星一つだ、と思ってしまいましたが・・・)。
入門書としては最適
★★★★★
神道についての一通りの概要をわかりやすく説明してある本である。神道について特に知識を持っていなかった方が神道について興味をもったとき、最初に読んでもわかりやすく、入門書としてお薦めできる。
神道とは何かの外縁を知る
★★☆☆☆
神道とは何かを知りたいと思って読み進めたが、外縁は理解できたものの本質的なところは今一つつかめなかった。類書をさらに読み進めたいと思う。