こんな禅宗の公案の如き言葉が編まれています。そこには詩としての味わいがあり、言葉によってのみあらしめることができる世界が綴られています。
それに比してこの「100の指令」が語るのは、もっと卑近で読者自身の身体で実行可能なものばかりです。
「ご飯のお米は『種』なんだと思いながら食べてみよう。」
「洗濯物がいつ乾くのか、時々洗濯物を触ってみよう。」
「口の中をベロで触って、どんな形があるか探ってみよう。」
読みながらこんなことを思い出しました。人間は空気を吸っていないと死んでしまうという事実を知った子供の頃の数日間、「さぁ、息を吸ってみよう」と自身に語りかけながら呼吸し続けたことがあります。自分にこんな言葉をかけなくても空気を吸うことをやめたりするわけはないのですが、呼吸を意識することで自分の中に確かに命が息づいていることが味わえて、嬉しかった憶えがあります。
長じるにつれ、そんな些細なことに時間をあてる余裕はなくなりました。意識せずとも流れていく事柄に意識をあてがうくらいならば、勉強や仕事など意識しなければ前進しないものにこそ意識を注ぐことが善だ。そんな風にいつの間にか刷り込まれてしまったのです。
本書が勧めるのはまさに些細な「時間の無駄」です。目の前にある何かの「衣の裾」を親指と人差し指で軽くつまんでそっとめくってみる。すると隠れていたはずの、自分を取り巻く様々な自然の営みの豊かさが垣間見える。
かつて、時間の無駄を積み重ねる中で確かに味わったはずの、何かに驚くというあの心のときめき。それを思い出させてくれる魅力的な一冊です。
ただやっぱりクリエィティブは二番煎じじゃ価値がないというか。表現の深遠さなど考えると、オノヨーコの才能の前には…というかんじ。