美しい夏の記憶をたどると、衝撃の結末に行きつく
★★★☆☆
寡作ながら、『夢果つる街』(’88年、「このミス!」海外編第1位)、『シブミ』、『ワイオミングの惨劇』(’04年、「このミス!」海外編第3位)など、1作ごとに趣向の異なる名作を生み出した異色の覆面作家トレヴェニアン。本書は’83年発表の恋愛小説仕立てのサイコ・スリラーである。
1938年8月、フランス・スペインにまたがるバスク地方の小さな温泉保養地サリーを再び訪れた‘私’ことジャン・マルク・モンジャンは第一次大戦前の1914年の夏の当地での出来事を回想する。
当時‘私’は25才で、町の診療所で雇われ医者として働いていた。そこでパリからやってきた若い娘カーチャと恋に落ちる。サリーからさらに2.6キロ離れたエチェベリア荘で彼女は双子の弟ポールと父親ムッシュ・トレビルの3人で住んでいた。頻繁にお茶に訪れるようになった‘私’に対してポールはなぜか冷たく当たる。そして父親は世捨て人のような暮らしをしていた。‘私’はポールから、なぜトレビル一家がパリからひなびた田舎へやってきたか、その理由を教えられるのだった。
近郊の村アロスで村をあげて三日間にわたって催される夏祭 “溺れた処女の祝祭”にトレビル家の3人と一緒に出かける‘私’だったが、“祝祭”から帰って、美しい夏が終わる頃悲劇が起こる。
本書は大半が、バスクという特異な土地の地方色を濃厚に盛り込んだ‘私’のカーチャに対する恋愛物語であるが、そこはトレヴェニアン、ラストで思いがけない精神分析学的サイコ・スリラーが展開され、哀しい結末を迎える。
思えば本書は、‘私’の四半世紀前の回想という形を取り、作品世界はすべて「過去」にのみ存在し、すべて‘私’のなかで既に完結している「事実」であり、だからこそさまざまな伏線が張り巡らされ、恐るべきクライマックスが効果をあげているのではなかろうか。
ひと夏の忘れえぬ思い出
★★★★☆
恋愛小説の中にサスペンスの要素を織り交ぜた、美しくも哀しい情緒を秘めた物語。
医者のジャン‐マルク・モンジャンは、かつての思い出の地を四半世紀ぶりに再訪する。若き日の彼はそこでカーチャという女性に出会い、恋に落ちたのだった。行く手にどんな結末が待っているか知る由もないまま。
彼はカーチャと過ごした遠い夏の日の記憶をたどり始める。
物語の舞台は、第一次大戦前のフランス・バスク地方の小さな町サリー。青年医師のジャン‐マルクとパリからやって来た娘カーチャとの若々しく清新な恋愛が展開される一方で、ジャン‐マルクはなぜ上流階級のカーチャたち一家がこんな片田舎の町に移り住んできたのか、いぶかしむ。そこには他人が触れてはいけないような何らかの事情があるようなのだが…。
読後は独特の重苦しさと共に、ジャン‐マルクそしてカーチャが経験した夏の日の幾多の場面が思い出された。回想形式で綴られた恋愛サスペンスの、印象深い作品でした。箴言のようなセリフをちりばめた皮肉っぽい会話の数々もおもしろい。
この『バスク、真夏の死』は、作家の江國香織さんもお気に入りの一冊らしく、自身が選んだ海外の好きな長編小説10傑のなかに本作を入れている。
無名の心地よさ
★★★★★
何故、これほど美しい物語を書けるのだろう。夏のバスクの強烈な陽射しが文字を通して
照り返している。この感動は作者のみならず翻訳者の技量によるところが非常に大きいと
思う。しかし、作者も翻訳者も驚く程の寡作である。もしくはあった。
トレウ゛ェニアンの残してくれた感動に感謝そして彼の御霊に合掌。
ありがとう。