涙がにじむ先代正蔵師匠とのはなし
★★★★☆
そんなに笑い乞食になってどうするんだ。フリ、オチ、フォロー。
フリ、オチ、フォロー。
先代の正蔵師匠は、ほんとに名手だった。
「死ぬなら、今」と言う噺を聞いたのが最後だった。
正蔵師匠が、落語協会をまとめていた。
正蔵師匠のファンにはたまらない小三治師の隋談。
まくらにはその人が現れる。
★★★★★
この本が面白い事は今さら書き述べる必要もない。
小三治さんのまくらは面白いだけでなく、
物事の真髄を言い当てている。
落語は人間を面白おかしく表現しているが
そこから教えられる事は多い。
そして、彼のまくらはそれに劣らず
いやもっと強烈に人とは、生きるとは、
いろいろなことを考えさせられるのである。
ま・く・ら
★★★★★
この本は面白すぎて電車内やカフェなどでは読めません。
よみながら、師匠の語り口が聞こえてきてもうたまりません。
20代からファンですが、まさに名人になりました。
ご両親の猛烈な反対をものともせず落語界に飛び込んだのは大正解でした。
東大を目指すよりはるかにいい人生となりましたね。「小三冶さん。」といいたいです。
お薦めの一冊です。
噺は読んでも面白いんだなあ
★★★★★
いやー、おもしろい!笑ったー。
私は落語を聴き始めてまだ一年ぐらいの落語初心者ですが、何人かの噺家さんの
噺を聞かせてもらって、その中で柳家小三冶という人が特に気に入ったのがこの
本を購入したきっかけでした。
なんてこともない、たわいない話も小三冶さんの手に(口に?)かかると笑い
出さずにはいられないほど可笑しい。
ただ、それは熟練した話術やテンポ、雰囲気、話し振りによるものだと思ってい
たんですが、この本を読んで少し考えが変わりました。
なにせ噺を活字で見せられても、やっぱり笑ってしまう。
やはり文字で見て可笑しいということは、その場の雰囲気、空気によるまやかし
とかペテンだとかではなくて、噺そのものが確固としておもしろいんだ、という
事を痛感しました。
それと不思議なのが、一度読んだところをもう一度読んでもやっぱりおもしろい
こと(もちろん初見よりその度合いは下がりますけど)
特に、皆さん書かれてますが駐車場に居ついた浮浪者さんの噺は最高に可笑しい。
落語好き、小三冶好きに限らず、もっといろんな人に読んでもらいたい一冊です。
二番煎じさえなければ・・・
★★★★★
噺家・柳家小三治の高座録音から活字におこし、修正した文章を収録。私は噺家の写真をみるのが好きで、なかでも被写体として一番好きな噺家がこの人であった。橘蓮二「おあとがよろしいようで」の頃の職人らしく厳しい相貌に、私はかつてしびれた記憶がある。
本多勝一が書いているように、はなし言葉はそのままでは文章にはならない。その点は、はなし言葉のプロである噺家においても同様であろう。それでも、さすがに本書の文章では、それらしくうまく高座の雰囲気を出している。ことばの専門家たる小三治が熟読して承認していると言ってよさそうだ。ゴーストライターが、本人の知らないうちに出版して名前だけ借りているような本ではないだろうと信じる。
本書には続編「もひとつ ま・く・ら」がある。しかし書籍としては、この正編の方がはるかに勝る。柔らかい言葉と軽みのあるおかしさに引き込まれる。これに対して続編は二番煎じと思しく、とくに教育や学問の問題を論じた章は床屋政談並であり、青臭く野暮である。とりわけ「三十になって物理をやりたいと思えば、そのときやればいいじゃないか」という意味の言葉(「もひとつ」のp.127)を読む限り、彼が学問を甘く見過ぎていることは明白であり、学問で生きている者としては「ばかにするな」と怒りさえ感じる。こんなものまでテープを起こさざるを得なかったのか。そうまでして2冊目を作る必要があったのか?続編で私が心から楽しんだのは、名品「笑子の墓」をはじめとする数編のみであった。