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クシュラの奇跡―140冊の絵本との日々

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本
ブランド: のら書店
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絵本の力と子供の可能性、そして、両親の愛 ★★★★★
表紙には、本を抱え顔いっぱいに笑顔を浮かべる少女、
そして、それを見守る両親の笑顔。

『クシュラの奇跡』は、絵本の力と子供(障害児)の可能性と
子供への両親の愛を信じさせてくれる1冊である。

クシュラは,重篤な障害をもって生まれてきた。

始終むずかり、昼も夜もほとんど眠らないクシュラとの
長い時間を埋めるために母親が始めたのは、絵本の読み聞かせだった。

首があまりすわらず、腕もうまく動かせなかったクシュラは、
1人では見ることも物を持つこともできなかったが、本を通して豊かな言葉を知り、
その言語能力は3歳を迎える頃には健常児をしのぐほどだったという。

一読目の頃の私は、障害児も自ら楽しみながら学ぶ機会を得ることができれば、
その才能を開花させることができるのだということと、
大きな役割を果たした絵本の力に心を動かされていた。

それは今も変わらないが、最近それに新しい視点が加わった。

それが両親の子供に対する接し方である。読み聞かせをはじめたのはもちろん、
娘の成長の記録をとり続けたのは母親であったが、
彼女1人がクシュラのことを抱え込んでしまったわけではないのだ。

むしろ、途中からは母親が外に働きに出て、
家で仕事をしている父親がクシュラと妹の面倒を見たり、
家事は分担ではなく一緒にやったりと、
家族の幸せの形を柔軟に作り上げていったことに、
この家族が壊れなかった理由があるように思えてならない。

子供が障害児だからといって、本人も親も生き方を制限される必要などないのだ。

そういった意味で、この本には、子育てとは、
家族の幸せの形とは何かを考えさせてくれる1冊でもある。

『クシュラの奇跡』には、巻末の付録で「クシュラの本棚」と題し、
彼女が読んだ本の書誌事項がまとめられている。

この140冊もの絵本を全部本棚に持っていたというのは、うらやましい限りである。

クシュラには、たくさんの絵本との出会いがあり、絵本とめぐり合わせてくれた人がいた。

そのおかげで、クシュラは、本の中の言葉を通して、
自分では直接触れることのできなかった世界を手に入れることができたのである。

自分がクシュラぐらいだった頃のことを思い出そうとしても、
残念ながら自分が読んでいた絵本のタイトルはほとんど浮かんでこない。

でも、子供の頃は1人遊びが多く、絵を描きながら鼻歌ばかり歌っていた私にとっても、
言葉や概念を獲得するのに重要な役割を果たしていたのは絵本だったに違いない。

クシュラにとってはもちろん、私にとっても、
本は大事な友達だったことをもう一度思い出させてもらった。
すべての親と、子どもに関わる人々に読んでいただきたい一冊 ★★★★★
父親の遺伝子異常の影響で、さまざまな疾患や、視覚障害、運動障害などを持って生まれてきたクシュラ。医師は、生まれつきの知能障害の可能性さえ口にした。絶望する両親。しかし彼らはあきらめなかった。たったひとつ、クシュラは知能を発達させうるのではないかという希望があったからだ……。

障害のため、自分で動いたり、見たり、さわったりということが十分にできないクシュラ。情報の不足を補うため、周囲の大人は絵本の読み聞かせなどを熱心に行い、その愛情に支えられてクシュラは成長していきます。しかしこの本を「障害者がこんなにがんばった」というような「涙と感動の物語」として読むべきではありません。「子どもの発達にとって、周囲の大人の愛情と、よい言語環境がどれほど重要であるか」というより普遍的なテーマの本なのです。

考えてもみてください。もし両親が医師の言葉を盲信してあきらめてしまったら、クシュラは知能を発達させることができずに終わってしまったでしょう。でも、障害をもっていなくても、親の無関心や、貧困や、文化資本の貧しさなどによって、知的発達の基盤となる意欲や知的好奇心を伸ばせない子どもは、少なくないのではないでしょうか。とくに近年の日本では、経済的格差だけでなく、意欲や希望の格差が世代間で受け継がれてしまう傾向が顕著になっています。小学校入学の段階で、「どのくらい字を読めるか」といったことだけではなく、意欲や集中力の差が大きくなっているのです。

新たに子どもをもつ人には、金銭的な手当だけでなく、ぜひこの本も給付してほしい。保育所や学校などで子どもに接する人はすべからくこの本を読んでほしい。切実にそう思います。そして、一人でも多くの人に、子どもの発達における言語環境の重要性について理解していただきたいと願っています。教育とは、自分の子どもに将来高い収入や地位を持たせるためだけのものではなく、次代の社会を担うまっとうな市民を育てるためのものだからです。このレビューに星が5つまでしかないのがほんとうにつらいです。
すべての子どもに関わる人々に読んでいただきたい一冊 ★★★★★
父親の遺伝子異常の影響で、さまざまな疾患や、視覚障害、運動障害などを持って生まれてきたクシュラ。医師は、生まれつきの知能障害の可能性さえ口にした。絶望する両親。しかし彼らはあきらめなかった。たったひとつ、クシュラは知能を発達させうるのではないかという希望があったからだ……。

障害のため、自分で動いたり、見たり、さわったりということが十分にできないクシュラ。情報の不足を補うため、周囲の大人は絵本の読み聞かせなどを熱心に行い、その愛情に支えられてクシュラは成長していきます。しかしこの本を「障害者がこんなにがんばった」というような「涙と感動の物語」として読むべきではありません。「子どもの発達にとって、周囲の大人の愛情と、よい言語環境がどれほど重要であるか」というより普遍的なテーマの本なのです。

考えてもみてください。もし両親が医師の言葉を盲信してあきらめてしまったら、クシュラは知能を発達させることができずに終わってしまったでしょう。でも、障害をもっていなくても、親の無関心や、貧困や、文化資本の貧しさなどによって、知的発達の基盤となる意欲や知的好奇心を伸ばせない子どもは、少なくないのではないでしょうか。とくに近年の日本では、経済的格差だけでなく、意欲や希望の格差が世代間で受け継がれてしまう傾向が顕著になっています。小学校入学の段階で、「どのくらい字を読めるか」といったことだけではなく、意欲や集中力の差が大きくなっているのです。

新たに子どもをもつ人には、金銭的な手当だけでなく、ぜひこの本も給付してほしい。保育所や学校などで子どもに接する人はすべからくこの本を読んでほしい。切実にそう思います。そして、一人でも多くの人に、子どもの発達における言語環境の重要性について理解していただきたいと願っています。教育とは、自分の子どもに将来高い収入や地位を持たせるためだけのものではなく、次代の社会を担うまっとうな市民を育てるためのものだからです。このレビューに星が5つまでしかないのがつらいです。
可能性を信じて ★★★★★
研究者によると人間の脳は、普段数パーセントしか
使われていないと言われています。
では、残り9割近くも眠っている脳は使われないまま一生を
終えるのかもしれない・・
そう考えると、クシュラに起きた奇跡は当然の結果
だったようにも思います。
クシュラの周りの大人達は、たくさんの読み聞かせの刺激に
よって、クシュラの眠っていた脳を目覚めさせることに成功した
のでしょう。

周りにいる大人達がクシュラの可能性を信じて
ひたすら絵本を読み聞かせし続けた・・
難しいことは何もしていません。
誰にでもできる「読み聞かせ」と言う魔法を使っただけで
脳に奇跡を呼べたのです。
多少の個人差はあるかもしれませんが、読み聞かせは
どの子にもとても有益なものです。

せっかく生まれて来た命、どの子にも可能性(未来)がたくさん
あります。
今すぐ「読み聞かせ」に取り組んで欲しいと思います。
でも、あくまでも「子どもと楽しみながら読む」ことが
一番大切です。
楽しい経験・記憶が、更に可能性を広げることに繋がっていきます。
子どもの成長期は長い人生の中でみると、ほんのわずかな期間です。
親子の記憶の中に、楽しい思い出をたくさん残してくださいね。
子どもの人生にとって、いかに絵本の読み聞かせが、大切な存在であるかを実証する記念碑的一冊 ★★★★★
 本書は、染色体の異常により複雑で重い障害を抱えたニュージーランドの女の子クシュラが生まれてから3歳9ヶ月になるまでの成長の記録とその間にクシュラが出会った140冊の絵本の物語です。腎臓や心臓、視力、身体的な発育の遅れと、生後間もなく次々と異常が発見され、絶望的な日々を送っていたクシュラとクシュラの両親に一条の光を与えたのが絵本の読み聞かせでした。昼夜分かたず眠れないクシュラを膝に抱きながら、母親が始めた絵本の読み聞かせに、クシュラは強い関心を示し、その後、医学的な診断を超えた成長を遂げることになります。
 著者のドロシー・バトラーは、孫娘クシュラを通して多くのことを学び、その学んだことの意味を裏付ける勉強をするために、オークランド大学の教育心理学科に再入学し、「クシュラ、ある障害児のケース・スタディー生後三年間の日々を豊かにしたもの」と題する研究論文を書きました。書店を経営して一家の生活を支え、クシュラと本の交流を絶やさないように努めていた日々のことです。その論文が書籍化されました。

 日本で翻訳出版されたのは1984年。当時、名作絵本の手引書として、また、子どもの成長における読み聞かせの意義を伝える本として高い評価を得ました。私が同著と出会ったのは、生後10ヶ月の長女が点頭てんかんと診断された1986年のことでした。悲嘆にくれる日々に、同著と出会い、深い感銘を受けました。そして、何よりも、巻末のクシュラの言葉がじんと胸に沁みました。
 3歳8ヶ月になったクシュラが人形を抱きしめながら「さあこれで、ルービー・ルーにほんをよんであげれるわ。だって、このこ、つかれていて、かなしいんだから、だっこして、ミルクをのませて、ほんをよんでやらなくてはね。」と言います。
 クシュラの言葉に、「そうだ。私も疲れていて、悲しいんだから、絵本を読もう。」と思いました。自分のために読み始めた絵本でしたが、娘も興味を示すようになり、その後、絵本の読み聞かせが娘と私の生活の核となりました。娘が泣き止まない時、パニックを起こしてどうしようもない時、事あるごとに、「このこ、つかれていて、かなしいんだから、ほんをよんであげなくてはね。」というクシュラの言葉を思い出し、絵本を読んであげました。
 22年の歳月を経て<普及版>が出版され、当時の自分と娘の姿と重ね合わせながら、再読しました。本書の特徴は、クシュラの発達の過程や、その過程において出会った絵本の発達段階における意義が、具体的に、かつ、実証的に、著者の抑制のきいた文体によって語られている点にあると思います。
 クシュラの母親のパトリシアによる膨大な量の緻密な成長記録(メモ)と著者の学問的な学び、そして、書店経営や読書教育の実践によって生み出された本書は、子どもの人生にとって、いかに本が大切な存在であるかを、また、幼少期における絵本の読み聞かせの果たす役割がいかに大きいかを力強い言葉で実証しています。
 <普及版>の巻末には「その後のクシュラ」が収録されています。その後のクシュラやクシュラの家族の人生を知り、知的な発達を促すためや障害の克服のためという目的に限らず、よい本は、障害の有無、国籍や宗教、人種や年代の違いを超えて、その人の人生の質を高めるということを再認識させられました。