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東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ

価格: ¥1,470
カテゴリ: 単行本
ブランド: 筑摩書房
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東大を語った商売本。 ★☆☆☆☆
タイトルで本を買いたくなるかどうか半分は決まりますが
東大を語った商売じみた本に対して憤りを感じます。
関西出身なのだから、阪大でも京大でも良かったろうに。
こんな見かけ倒しの議論をするのはもともとの中身が軽いからだと
わかる人にはわかってしまうと思います。
もっと関西の良いところ、女性として表現することがどうもお嫌いなようですので
ご自身の魅力たる内容を次の本や記事、エッセイでは是非論じてください。
間違ってはいけないのは、自己中心的な欺瞞や自慢話ではなく
相手のことを思いやりつつ、「社会貢献」を常とした内容を
浪費癖のある日頃の言動の一部からではなく、
しっかりとした大人の人間(とくに女性としてでなくて良いので)表現してください。

これでは一連の本は、女性にもなれない、大人にもなれない単なるわがままな
未熟な人間の戯れ言のようにも聞こえてしまいます。
エッセイというよりは ★★★★☆
東大に学びたいと強く思うようになったきっかけとして書かれていた
「女であるがゆえに議論に負ける」ということが本当にテレビ番組で頻繁にあるのだろうか。
東京にいるわたしが知らないだけで関西では本当にそういう番組があるのかもしれない。
でもそのことがまず信じがたかったので純粋なエッセイというよりは
芸人さんの「体験談をやや大げさにしたネタ本」を読んでいるように感じてしまった。
そう思えば面白い。
最低に下品な本 ★☆☆☆☆
この本が書店に並んだとき「これだけは買うまい」と思っておりました。しかし、当時高校生であった私は授業で指定され読まされる羽目に。その後改めて読み返してみました。
端的に言ってここまで下品な本はないです。上野教授自体がその学術手法(≠内容)において疑問視されている教授ですが、私は上野教授についてはあまり知らないのでここで言及はいたしません。しかし、遙洋子という人物に関しては下品以外の何物でもない、ということがわかりました。
あらゆる事に「?」を突きつける。この姿勢自体はフェミニズムに限ったことではなく誠実な学問であるならば当然の姿勢です。しかし、このことと「?をつけたからには否定しなければならない」ということは全くの別物です。「?」をつけた物の中にも正しい物があるという観点がごっそり抜け落ち、ひとたび「?」がついたからにはそれは間違いであると疑ってかかり、「とどめを刺さず生殺しにする」というもっとも卑劣なる(i.e.自らの論旨貫徹義務を放棄する)手法によって邁進しようとすることを下品と言わずして何というのか。この程度の思想で感銘を受ける遙洋子はとどめを刺さないのではなく、とどめを刺せないのでしょう、と邪推し、そしてブラウン管に移し発言する彼女を見てそれは確信へと変わっております。
以上より学問に限らず議論においてもっとも下品な形態を観察するという意味においてのみ有用な本であると思います。
ドラマとしてもおもしろい ★★★★☆
 一社会人が優秀な学生さんたちに交じって悪戦苦闘する様子が、大変おもしろく描かれています。芸能界というきわめて特殊な世界に生ずるジェンダーバイアスについても語られていて、興味深く読むことができます。頻繁に書物からの引用があるのは、素人が不正確なことを言うよりはという配慮でしょうか。
 著者はケンカと言っていますが、特定の人が特定の人を言い負かしたり、説き伏せたりすることに私はあまり意義を見いだせません。まずは世の中に無数の不条理があることをわからせなくてはならないでしょう。まあ、そのことをも「ケンカ」と言っているのでしょうけど。
現在進行中の学問 ★★★★☆
遥洋子さんが学問のプロを育てる『東大』で上野千鶴子教授に
「議論の構成の枠組み」を学ぶというところからはじまります。
要は「男のもてあそび方」(と言うと聞こえは悪いですが)を学びに行ったという事です。
と言うのも本人がタレントという仕事の中で議論になり白熱すると
本来語りあうべき事柄からづれて、
最終的に女性を誹謗中傷する発言を引き出し粉砕されていく姿を数多く見てきて、
沢山の制約の中で瞬時に確実に議論に勝つ方法を学びたいと思い
みごとに勝ちつづけている教授の元に教えを請いに出たという事です。

突如、学問のプロ養成所の中に放りこまれた遥さんの視点は
一般読者に限りなく近いので感情移入はしやすいですが
勉学への姿勢は頭が下がるばかりです。
そして、その遥さんがわかりやすく書いてくれているにもかかわらず 
理解出来ない「ジェンダー」や「フェミニズム」について私が唯一わかった事は
現在進行形の学問で「これだ」という形がまだ出ていないらしいという事でした。