日本人が知らない賀川豊彦
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賀川豊彦の名は日本の近現代史の中でも埋もれた存在であるといえよう。
高校日本史の教科書(山川出版)にも賀川について記述はあるが、農民組合運動に関する項にわずかに触れられるだけである。
しかし、労働運動、消費組合運動、普通選挙運動など戦前の日本のほとんどすべての社会運動に関わり、常にその先頭に立ち、優秀なオルガナイザーとして、そのカリスマ性は特筆に値するものである。本書は1988年にアメリカが州国において賀川豊彦生誕100年に著者ロバート・シェルジェンによって著されたが、邦訳化は2007年である。
日本における過小評価と欧米とりわけアメリカ合衆国における過大評価の差異は何に基づくのか。
日本における賀川は、さまざまな社会運動で先駆的役割を果たしたが、決定的な局面において(運動が運動者間の権力闘争の様相を帯びてくる場面、国家権力との対峙が必然的な場面)、運動から距離をおいたり調停的な行動を取っている。特に後半生における軍部との接近、それがたとえアメリカとの調停者として両国の戦争回避に尽力したとはいえ、結果的に日本の大東亜共栄圏をアジアの欧米帝国主義・植民地主義からの解放と位置付け(それが本意だったのか、弾圧を恐れたものであったのかその心情は不明である)。しかし、そのことがのちに、ガンジー、シュバイツァーと並び称され、ノーベル賞候補にもなりながらかなわなかった理由のひとつではないか。
アメリカ合衆国における賀川の評価は日本人のわれわれにとっても意外である。賀川はキリスト者であるが、その宗教観は独特のものであり、教会を中心とした神から「解放の神学」にも通じる人民のために行動するキリスト教社会主義(現世利益の追及を否定しない、「人民の阿片」ではないキリスト教運動)は1920年代、30年代のアメリカの社会状況(資本主義の失敗と現実的な対応策を示しえない既存キリスト教、台頭する共産主義思想)は、帝国主義・植民地主義の先兵としての宗教から人々を救済する非常に現実的かつ実利的な側面を伴った新しいキリスト教像が、アジアのカリスマ(おそらく誇張もあった)的宗教指導者として、アメリカのキリスト者や協同同組合運動家、社会運動家たちにとって非常に新鮮な印象を与えたことが分かる。
功罪はどうあれ私たち日本人は賀川をもっとよく知る必要があるのではないだろうか。今日の格差社会、貧困の問題に直面する中でこそ彼のような希有な人物が出てくることを期待することは難しいとしても(歴史的必然としての個性は同時に偶然的なものでもあるので)、その精神を学び、指針とすることがいま求められいていると思う。