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しのびよるネオ階級社会―“イギリス化”する日本の格差 (平凡社新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 平凡社
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論証の弱さは目に付くが・・・多分正論なのでは? ★★★☆☆
 憧れの階級社会イギリス。
 しかし,イギリスは別にパラダイスではない。少数の上流・中産階級の人間と,多数の労働者階級の人間とは,話す言葉もライフスタイルも違う(ちなみに,サッカーは労働者階級のスポーツで,中産階級の人間は好まないらしい)。「エリートの子供はエリートに,労働者の子供は労働者に」という考え方が疑問の余地なく通用しているため,労働者の子供は勉強して上級の学校に行こうなどとは考えもしないし,教養を身に付けようという意欲もない。一般に,労働者は,仕事に対する責任感とかプライドとかは持ち合わせていない。

 労働者階級の人間には夢を持つことができず,中産階級の人間が全く報われることのない階級社会−日本はまさにそうなろうとしている,と筆者は言う。

≪すでに日本は,若者が夢を持てないような社会になっている。
 年収300万円でも,のんびり楽しく生きればよい,などというのは,底辺の労働を知らない人の言う世迷言であって,単調でしかも不安定な仕事ほど,不安定であるがゆえに休みも勝手に取れない,というのが実情なのだ。
 社会の底辺に押し込められた人たちは,のんびり生きるのではなく,単に向上心を持たないその日暮らしになるだろう。日本は,「ゆとりの国」などにはなれないのである。
 頑張っても大したものは得られない,という社会には,未来はない。
 ネオ階級社会の確立を阻止し,せめて機会だけは平等だと信じられる社会にしなければ,次世代の日本人は完全に活力を奪われ,わが国は早晩,衰退への道を転がりはじめるであろう。≫(207〜208頁)

 筆者の主張は,厳密な論証に裏打ちされたものではなく,その意味ではおじさんの繰り言の域を出ないが,イギリスの露骨な階級社会を身近に体験してきた経験に基づく主張は,それなりの説得力があったように思う。
たしかに ★★★★☆
 題名はすばらしく、時代の的を射ていると思います。
 内容はくだけていて、口語調で、著者のエッセイになっています。
 この本が出版されたころは、「ゆとりの教育」は金持ち政治家の陰謀ではないかということがささやかれ始めたころです。その陰謀というのは、公教育の質を全面的におとして、金持ちの子息は私学に入れて、格差を意図的に作り出し、さらには職業格差を通して固定的階級社会の復活を模索しているのではないかという説でした。
 階級社会構想は実際には日本を強固(富国強兵)なものにするという全体主義的思想に基づき考えていたと思うのですが、実際はだらしない官僚、ノブレス・オブリージョも武士道もないノーパンシャブシャブにひたる公家のような大蔵官僚、弱腰の外交官、嘘をつく厚生労働省、接待付け防衛省がいつまでも存続し、年金は食い物にされ、国民の体力・経済力も弱っているわけです。それに、いろいろ御用学者の説で知恵のない国民はだまされているところが多いわけです。
 そういう状況で、アメリカ新自由主義的大競争社会にはならないよ。イギリス新保守的ネオ階級社会になるよと警告しているわけです。その中身は階級ごとに言葉も発想も異なる固定階級の存在ということですが、レビューワーとしては、下手するとどっちにもならないと思います。アメリカ帝国と結託してしまい、ネオリベ循環にはまっている現在の日本ですから、よくてチリ、悪くてアルゼンチン、つまり中産階級の崩壊と国家のディフォールトにより、1%のサバイバーと99%の浮浪者になる可能性が高いと思います。
 それでも、この書物の警告はポストモダン思想以来のネオリベ批判思想になじむ内容となっています。 
味が濃い ★☆☆☆☆
ところどころ「私が書いたすばらしい本」という一言が出てくる。特に3章の格差の個人史は
あまりにもの味の濃さに絶句。在英日本大使館に理論で勝負せいと喧嘩を売ったそうだが、
個人の頭の中だけの正義ではなく、きちんと説明して欲しいものだ。その他味の濃さを感じさ
せる箇所があまりにも多い。
この内容だと図書館に入れるにも躊躇するだろうな。
知能と腕力を兼ね備えたニッポンジンとしての林信吾 ★★★★☆
なにが顰蹙をかっているのかといえば、それはずばり、「空手の黒帯である著者が、その腕力のおかげでイギリスの危険地帯でも引けをとらなかった」と堂々と言ってしまったことだ。
女性である私は、このようなことを言われたとて「そうなんだー。それはよかったですね」くらいの感想に留まるが、男性読者は違う。誰もはっきりと言わないが、これは男性読者にとっては、「どうだ、君たちもそれくらいの腕はあるかい」と言われているように感じてしまうのだ。
こういうことに対して、男性ははっきり言及しないどころか、別のアラを探して批判しようとするのが常である。ちょっと悲しい気もする。
別に、いいじゃないか。「俺は腕力に自信がないから、財布を投げ出して一目散に逃げるだろう」と本音を言ったって。誰もが空手や柔道の黒帯じゃないんだから。この点については、小谷野敦氏を見習うべきだと思う。「腕力のある人」を「腕力のある面において評価する」ということは、「俺はそうじゃない」と卑下することとイコールではない。
というバッシングを横に置いても、著者がいうように、「下から上までのイギリス人と付き合いつぶさに観察した」という、当初の目的は違えど結果的にフィールドワークに成りえた経験は、評価できる。
腕力があるだけではなく、知能まで優れた著者がイギリスで成功したことは、同じ日本人としては、「よくやった」と誉めたい島国根性を抱いてしまう。自分の成功のみならず、「今後の日本はしだいにこれに近づくのではないか」と警鐘を鳴らした点も、私利私欲に終わらない著者の人柄を示している。
井形慶子のように都合の悪いことは見えない態度を取るイギリスびいきと比べれば、このような人をもっと重要視するべき、と私は思う。
唯我独尊的論調が不快感を招く ★☆☆☆☆
英国の実情を肌感覚を持つ人間として克明に描いており、その点は評価できる。
しかしいかんせん、唯我独尊的な論調で、読者を不愉快にさせる。
他のレビューにもあるが、自分の本を礼賛し、他人の本を引き合いに出して酷評(単純な非難)する、ちょっと理解しがたい部分が多い。

高学歴エリート者や高名な額社に対するコンプレックスが凝縮されている。

説得力のある論理展開もあるだけに、この表現方法は非常に残念である。