国家や時代とどう向き合うべきか
★★★★☆
先日、朝のワイドショーで取り上げられていたが、今、著名人の墓が、一部で流行っているらしい。
この「読むことは旅をすること」は、海外の詩人や文学者などにゆかりの地を訪ね歩いた読書にまつわる紀行文。直接・間接に戦争や革命の犠牲となった人々も多く、彼らの墓を探し訪ねる旅を綴った文章も多数収められている。
つまり、紀行文とは言っても、「戦争と革命の世紀」と呼ばれた20世紀に生き、国家の暴力に抗して言葉の力で闘った人々の足跡をたどる旅だ。
国家や時代とどう向き合うべきか――文学者たちの鎮魂とともに、今に生きる我々への問いかけでもある。
ことばの世界史
★★★★★
「読み終えて終わるのでなく、読み終えたところからはじまる、もう一つの読書がある。そのようなもう一つの読書が、わたしには旅だった」。
その言葉どおり、詩人たちの足あとをたどって、著者は世界じゅうを旅して回る。
スペイン、ポーランド、アメリカ、メキシコ、フランス、イタリア、ロシア、シンガポール、そしてイギリス。
今は亡き詩人の言葉をめぐる旅は、詩人の墓をめぐる旅。彼らが生きた時代の戦争と、パトリオティズム(=自分の居場所)をめぐる旅でもある。
この本を読みはじめたとき、わたしは、著者があえて戦争のあった土地を選び、戦争について書かれた詩をとり上げているのだと思いこんでいた。
けれど、読みすすめるうち、どうもそうではないらしいと分かってきた。
最初に「詩人」がいて、「詩」を書くために、テーマとして戦争を選ぶのではない。
まず戦争があり、巻き込まれるひとりの人間がいる。その苦悩や葛藤を昇華するひとつの手段として詩がえらばれる。詩で表現することを選んだ人間が、ずっと後になって詩人とよばれる。
日本は、よくもわるくも、人種や民族、土地の境界について考える機会が少なかった国だと思う。
だからわたしには、「詩と戦争」「詩とパトリオティズム」というような組み合わせが、最初はやや唐突に感じられた。
けれど、たとえばヨーロッパのように、何度となく血を流しながら境界線を引きなおしてきた土地の人びとにとって、詩の言葉は、その初めから当たり前のこととして、国、権力、政治、戦争…と深く結びついている。
権力の道具としての言葉ではない、自分自身の、日常の言葉をもつことの切実さを、著者は訪れる先々で、確かめるように重ねて書きしるしている。
言葉をもつことは、誇りをもつこと。
土を、風景を、くらしを愛すること。
深呼吸して今日を生きることだ。
権力と統治の歴史ではなく、ひとりひとりの実感としての「言葉の世界史」を、この本は読者に問いかけている。
心の旅
★★★★★
活字を読んでいるのに、心は時間、空間を旅している。それも、甘美な旅ばかりではない。結構辛い道中もあるのだ。途中の景色もなまやさしいものではない。でも、旅の実りは大きい。