妻への思い
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高村光太郎は、日本の彫刻会で知らぬもののない高村光雲の息子として1883年に生まれました。
彫刻家の道を歩む事を望む父と道をたがえ、文壇の道を進んだ光太郎は、雑誌「明星」に寄稿するなど
俳句や作家・詩人の道を歩みました。
精神障害のある妻・智恵子に深い愛をもって見つめた詩集・智恵子抄はあまりにも有名です。
この角川文庫・智恵子抄は、智恵子抄の初版が全文記されています。
さらに光太郎が、智恵子抄を書く過程にあった出来事や、この詩集を寄せる智恵子への思いを補遺としてかかれています
付録として光太郎の歩んできた軌跡を書いた年表も記され。
単に詩集を楽しむだけではなく、この作品を書くに至った作者・光太郎の人生を読み解く事ができる構成になてちます。
私はこの智恵子抄の詩を、小学校の教科書で読んだ事がありますが。
改めて全文を読んでみると、やはり素晴らしいものだと思います。
特に智恵子を観察した詩には、妻を愛しながらもどこか切なく感じさせるものがあります。
「値ひがたき智恵子」には、(智恵子の現身はわたしを見ず、)との一文があり、ここの光太郎自身の動吠が聞こえてくるようです。
そんなにも愛が、たかが愛、されど愛、そしてやはり愛
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「知恵子抄」を一人朗読しながら、涙した、あの若かりし時代は既に30年以上も前のこと。年を経ただけで、この著書に対する姿勢の何が変わっただろうか。社会人として長年勤め、家族をなし、今また定年を目前にして・・・・・。「愛」ほど頻繁に語られるテーマはないと聞く。この著書のような無菌状態の愛は珍しいものだろう。幾分か影があってもおかしくないが、影の部分があったとしても、光太郎によって純化され、美化されたところもあるのではないだろうか。「たかが愛、されど愛」とも思う。愛は美しくあって欲しい。そうした経験ができるなら幸いである。この著書は純粋培養した「愛」の典型、「愛」の理想として素直に受け止めればいいのだろう。ただこの著書のような愛も、現実に多くの人が経験する愛も愛には違いないが・・・・。
話は変わるが、八木重吉という詩人の家族のような哀しい愛もある。目立ちはしないが、美しい。八木重吉の詩との邂逅は知恵子抄を知って凡そ二十年後のことであり、知恵子抄のように読後の衝撃はなかったが、家族愛としては印象深い。さて、私は、知恵子抄の「樹下の二人」が好きである。「あどけない話」にある「ほんとの空」のイメージが重なる。この「ほんとの空」は、詩的に美しい空の概念を見事に打ち出したものとして、出色のものであると思う。「ほんとの空」は美しいが、ものがなしいイメージも付き纏う。ともあれ、老いも若きも、この著書の「愛」に与りたいものである。
若い人に読んでほしい
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「あなたの愛は一切を無視して私をつつむ」
『恋空』で泣いたと言う人に読んでもらいたい一冊ですね。
これが本当の恋です。
互いにかけがえのない存在だったのでしょうね
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「レモン甘いか酸っぱいか」と軽い調子で言って笑い合っていた高校時代には、『智恵子抄』の奥深さなんて
まだまだわかりませんでした。
学校では教材としてしか習いませんし、夫婦の重みや愛しさを理解するには、それなりの歳月と経験が必要
だったと思います。
光太郎も智恵子も、互いに相手のことを愛し切ったのでしょう。
ただ、それを表現し切るだけの言葉を、光太郎が持っていたかどうかは不明です。
言葉が思いの丈すべてを表現でき得るものとは言い切れませんから、光太郎も詩を生み出すにあたっての
並々ならぬ苦労があったかと思います。
そうやって後世に残された『智恵子抄』…男女の深い情の通い合いを感じます。
愛のかたみ
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自分が青臭い学生だった頃はこの本に酷く反発したものだ。
結局は死んでいった妻をネタにして詩集を出すなんてwと。
しかしそれから20年過ぎてこの詩集を読んでみると涙が出てくるのだ。
なぜだろう…。
たぶん、光太郎は誰かに智恵子を憶えていて欲しかったのだ。
子供もなく光太郎のみに生きていた智恵子には友人もいない―光太郎の為に
自ら切り捨てた―その智恵子が自分を愛した事実は自分しか憶えていない記憶だ。
誰かに、智恵子を憶えていて欲しかったから、光太郎はこの詩集を残したのだと思う。
今、高村智恵子の哀憐の人生の中でしか高村光太郎の人生は世間では語られない。
それもまた光太郎の願いだったと思える。