歴史に学ぶ試み
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昭和天皇は、東条英機らの「A級戦犯」が靖国神社に祀られたことを理由にして、靖国神社への参拝を中止したという。だが、本書を読むと、もっと根の深い理由があるように思えてくる。おそらく、天皇は、開戦時の指導者たちを亡国へ導いた者として終始許せなかったのではないだろうか。
近隣諸国からは政治的な意図もこめてあげつらわれる歴史問題であるが、言われるまでもなく、われわれ日本人があの戦争のことをどれほど真剣に考えているかは疑問である。幸か不幸か、戦勝国が主導した戦犯裁判や新憲法制定を狡猾に利用して、自らの行為と正面から向き合うことを避けてきた節がある。一億総懺悔や大東亜戦争肯定論などもその類だろう。
われわれがあの戦争と冷静に向き合うのには、半世紀以上の時間が必要だったのかもしれない。著者は多くの戦争体験者への取材や史料の発掘を通して戦争の実態を明らかにしていく。それが如何に愚かしく、馬鹿げて、悲惨であったかを示すばかりでなく、何故あのような狂気の沙汰がもたらされたのか執拗に追究する。天皇、政治家、官僚、軍部、兵士、国民、マスコミなどの各層、各個人の行動や心情を追跡して、どこに問題があったのかを探り当てる。
昭和天皇や山本五十六への好意的な評価にはまた異論もあるだろうが、主体的な戦争責任論への取り組みとして大いに啓発される。それはもちろん過去をほじくり返しているのではなく、すぐれて歴史に学ぶ試みなのである。