人間中心の経済観
★★★★☆
本書では、都留重人ほか、さまざまなエコノミストとの議論を通じ、下村治の経済学が深化する過程が描かれます。
設備投資について、回帰投資、感応投資、独立投資という投資誘因に応じた役割を分離し、経済成長における設備投資の役割を重視した高度成長前期の経済観、経済成長において重要なことは、起業家の創意工夫、新機軸への挑戦を開放的に促すことであって、自己調整論や経済計画はむしろ経済成長の足かせとなりかねないとした指摘、経済のいわゆる「二重構造」や公害問題は、経済の成長の中で解決されるだろうという見方、賃金引き上げにあたって生産性基準原理(賃金の上昇を労働生産性の上昇の範囲内とする)を採用することにより、インフレの抑制を促したことなど、ついうなずきたくなるような論点がつぎつぎとでてきます。下村の人間中心の経済観は、今でも忘れてはならないもののように思います。良きにしろ悪きにしろ、世の中の議論は常に繰り返されるものです。
そういえば、交易条件が悪化し、その後、世界同時不況を迎えた1980年代初期の頃の経済環境と、今の時代の経済環境は、比較的似ているのかも知れません。経済の国際均衡と国内均衡を同時に達成すべきだとする下村の経済観からすると、今の時代はどのように映るのだろう、なんてことも考えます。
下村治ってどんな人?
★☆☆☆☆
書名の一角にあるように評伝・日本の経済思想シリー
ズの一巻です。このシリーズのラインアップをみると、福
沢諭吉、渋沢栄一、武藤山治などの常連に、柳田国男
とその対比でいつも悪役されがちの岡田良一郎のご両
人、おまけに北一輝を加えるなど、かなりユニークな選
定になっています。名声の割りには、あまり実像が明ら
かにされていない下村治が対象に選ばれたのは、シリ
ーズのそういう特徴もあったのだろうと思います。
さて、下村治といえば高度成長、「下村が正しかったか、
(高度成長を真っ向から批判した)都留(重人)が正しか
ったのか。その後の日本経済がどのような道を歩んだか
を振り返れば、答えは明らかである」と本書の著者は言
います。そして、そうした彼の立論は、戦後のインフレ処
理の時期から一貫していることを明らかにしたことは、本
書のお手柄だと思います。
ただ、その間に生じたひずみについて、武田晴人は『高
度成長』(2008 岩波新書)でこう言います。「最大の問題
は、物価問題であった。卸売物価が引き続き安定している
にもかかわらず、消費者物価が緩やかに上昇に転じたか
らである」と。そしてわたしの当時の生活実感はこれに近
いものだったし、本書でいう都留の安定成長論により魅力
を感じたものでした。そういう共感は潜在的にはかなり拡
がっていて、その後各地、各所で起きる多様な叛乱の低
奏音となったのではないかというのがわたしの推論です。
正直にいうと、本書で下村の同志として紹介されている
高橋亀吉、この人が大昔の地代論争のときに書いた肩の
力が抜けた論文が気に入り、ずっとファンだったんですよ
ね。この人の評伝のほうが読みたかったな。
〔追記〕 神谷秀樹『強欲資本主義 ウォール街の自爆』
(2008)は、下村治のゼロ成長論を再評価し、金融資本な
どの虚業で成り立つ、アメリカ型強欲資本主義を克服す
るヒントを見出そうとしています。彼の立論が、ここまでの
射程をもつものとは思いませんでした。(2009/3)