恥じらいと矜持の狭間で
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「詩のことばは、個人の思いを、個人のことばで伝えることを応援し、支持する。それがどんなにわかりにくいことばで表されていても、詩はそれでいい、そのままでいい、とその人にささやくのだ」(P117)
詩がとっつきにくいのは、最大公約数の読者に分かりやすく伝えるのが目的の「散文」と違い、最小公倍数(ときには作者1人かもしれない)に向けて訴える文学だから。
それは「読者がいたら、こまる」というほど個人的な恥ずかしい営みで、世の中にも「必要」とはされていないけれど、その「弱さ」をひたすら擁護する。それが荒川さんのスタンスです。
本書を含む「ことばのために」シリーズの編集委員を代表して巻末に批評家の加藤典洋氏はこう書いています。
「ことばは『すじこ』を『いくら』にほぐすときみたいに、わたし達を『ひとりひとり』にばらしてくれます。孤独にする。それがことばのよいところ」
これ、荒川さんのいう「詩の定義」そのまま。読む価値のある多くのことばは、形式はどうあれ、詩のようなものかもしれません。
文章に自信のある人たちへ
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詩のことばと一般のことばの乖離、詩が読まれなくなっている状況といった、「世間」との距離をよくとらえた上で、荒川氏ならではの視点、皮膚感覚が冴えた記述が随所に見られる。前半は、詩の実情を詩や詩人のエピソードなども紹介しながら展開する。若い世代に是非読んで欲しい。後半に向け、荒川氏は加速しているように感じる。
「読者がいたら、こまる」(pp.135-137)などは、いかにも荒川氏らしいとらえ方・考え方。この項は、氏のパースペクティブとでも言おうか、そういうものが端的に表れている。それに対して、「自信のある光景」(pp.141-143)では、表現に自信を持っている読者こそ、読み進めていく内の一節にドキリとするだろう。氏の一貫した宮沢賢治批判はここでも健在。
「歴史」(pp.150-155)では、詩が沈滞している状況に対する提言がなされる。ことばに関わるすべての人が読む価値のある一冊。
ああ荒川さん!
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やはりいい随筆書きますね、このひと。それに面白い詩書くし。確かに詩は読まれない。でもウェブ上では詩、または詩のようなものが転がっている。確かに詩作は楽しい。面白い。でもそういう人たちは絶対詩人ではない。自分の姿がばれないから、恥ずかしいことも書ける。進んで血を流そうとしないから、彼らは(彼女らは)本質的に凡庸だ。でもかたちとしては詩なのは確かだ。でも詩人じゃない。これ大事。荒川さんっぽく書きました(笑)疲れやすい現代人の関心が詩から薄れて、みんな安っぽい、分かりやすい言葉に走っている現状は本当に逆境なのでしょうか。ひょっとするとその逆境は詩人にとって幸福なことかもしれない。読まれないことは最高なことかもしれない。そんなことを考えさせられます。もしこの本に興味が持ったなら、思潮社からでている詩の森文庫シリーズをお勧めします。これ、たぶん現代の王道だ(笑)。
詩の入門書
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今までなぜ詩を敬遠してしまったのか、読書家と言われる人でも詩となると臆してしまうのはなぜかなど、なるほどねというような記述がいっぱいありました。私のように詩に特に興味のない人の入門書としても最適です。とても楽しんで読めました。