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失楽園 下 (岩波文庫 赤 206-3)

価格: ¥1,008
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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知識ないまま読んだ者の感想 ★★★★☆
他の方々と読むきっかけは異なると思いますが、表紙に書かれている「一敗地にまみれたからと言って〜」が「一度の失敗くらいで挫けるな」・・・といったように、日経BPで引用されていたことからです。 そもそも神話や宗教的な背景・歴史といったことには疎く、読めるのかどうか不安でしたが、何とか読めました。
いや正確には、「読んだつもり」なのかも知れません。 本書を開けば分かりますが、同種の書籍のなかでは相当平易に書かれたものであるとはいえ、「格調高い」と言われるように、砕けた口語文体ではありません。 今日日の小説のようなノリで読もうとすると(多分)ゲンナリします。 また原作者(ミルトン)の身上から、非常に宗教的な前提知識を踏まえて書かれる話題・トピックが多く、とても無学では計り知れないほどの"裏"があるようです。 これについては巻末に大量の注釈が添えられており、逐次それらを見ることで多少補完されますが、恐らく原作者・訳者の思いを受け取るには十分ではないのでしょう。
ただ、深く分かり得ないとしても、物語として大いに楽しみました。 知っていそうで知らなかったことが(勿論これが聖書や全宗教宗派の統一見解ではないものの)分かったことは収穫です。 例えばサタン=ルシファーとか、厩で生誕する前にイエスが天使の反乱を収めていたこと、もっというと無学の者にとっては、神と天使の関係、天使と人類の関わりなど、構図そのものが判然としないものです。 それら基本的な知識を得ながら読み進めると、理解度もペースも上がってくると思います。
一点、意外ことに考えさせられました。 アダムとイブの関係について、非常に男性上位(適切な表現か分かりませんが男尊女卑)なのです。男性から女性は作られたから、女性は男性に従わなければならない・・ということを神・天使までもが言及します。神話の時代はさておき、原作が書かれた時代には当然の風潮だったことと思いますが、人はどこまでも平等と考えられていなかったことに軽いショックを覚えました。現代は改められつつありますが、世界中に根強く残る不平等意識は、それだけ根深いものであるのだろうか・・・と。
そういう「ちょっと大変なものに手を出してしまった」という自戒の念と、「分かる限りで人類創世という壮大な物語に触れることが出来た」のバランスで★4つとしました。
格調高い現代語訳! ★★★★★
神、天使軍団とサタンの悪の闘いが描かれているということで、興味を持って読んだ。永井豪のデビルマンが好きで、面白いかと思ったけれど、物凄く、格調高い現代文で読んでて感動した。こんなに素晴らしいとは思ってなかった!
聖書には神の視点、人の視点からは描かれているけど、ヨブ記以外はあまり描かれていない、サタンの主張、考え方。つまり悪の悪による考え方。その思い上がった考え方。悪の手口。
一般社会にも悪人、魔が差した的な悪はある。人の世も善ばかりではないし、心底悪に染まった人もいる。そんな悪に対して如何に受けとめ、対処するのか?大変貴重な文学だった。
 アダムとイヴのエデンの園に対しての、サタンの対応の仕方。アプローチ。単なる伝説としてではない、正面きっての描き方に感銘をうけ、興味深かった。巻末の解説も、読み応えタップリで、本当によい本。お薦め。

 しかし、勘違いしていたのは、失楽園はエデンの園から、出て行かされる、アダムとイヴの物語だという事。

 イヴは高慢ちきにも、アダムの言うことを、聞かずに一人エデンの園を行き、サタンの乗り移った蛇にまんまと騙される。堕ちたイヴにアダムは男気を出して自らも、知恵の果物を、食べてしまう。食べる前までは、高貴なアダムが食べた後は、ありきたりのしょうもない男と女となる。そんな二人を憐れんで神はミカエルを遣わし、二人の子孫のビジョンを見せる。カインとアベルやノア、アブラハム、モーセ等、様々な人の生き様を見せられて、徐々に未来に希望を持ち、知性と教養を取り戻していく。そして、イエスの登場を見せられて、希望を持って、エデンの園を追い出されていくアダムとイヴ。おしまい。
近代文学と聖書、現代文学と聖書――あるいは、芥川、太宰と町田―― ★★★★★
 ミルトン『失楽園』を読み、近代・現代の作家三人に思いをはせた。
 『失楽園』。本書は、ミルトンによる『聖書』翻訳である。少なくとも私は、そう読んだ。学生の頃、『聖書』を読んだつもりになっていたが、全然理解できていなかった。天上で起こった出来事、その似姿が地上で繰り返される、予徴論という概念を知り、『聖書』に対する知識が少し身についた。言われてみると、旧約における神(とその子イエス・キリスト)とサタンとの対立は、新約におけるイエス・キリストとユダとの対立に一脈通じているような気がする。引用は避けるが、サタンの神(とその子イエス・キリスト)への嫉妬の念は、太宰の短篇「駈込み訴え」に描かれた、ユダのイエス・キリストへの嫉妬の念を彷彿とさせるのである。
 (柴田敏氏によりすでに指摘済みだが、)十字架につけられ、命を落としてから三日目に復活する、という挿話は、太宰「走れメロス」では、メロスが王のもとに戻るまでの猶予期間に、ノアの方舟の洪水のイメージは、太宰「惜別」における、「周さん」が目の当たりにした<文芸書の洪水>にメタモルフォーゼされる。
 本書によって、天使というのは、男性だけである、という事実を知った。そこで私は思いついた。太宰治の小説「人間失格」のなかに、葉蔵が、女性のいないところに行きたい、と嘆く場面がある。女性のいないところとは、実は、天国なのではないか。葉蔵は、そして太宰は、天国に憧れていたのではないか、と。
 偽善こそ神のみを除く誰の眼にも見えず、神の黙認によって天と地を横行闊歩する唯一の悪である(『失楽園 上』より)
 イエス・キリストが地上で行われていた偽善を暴き、キリスト教を生み出したのは、やはり、彼が神の子に他ならなかったからなのだろう。私の好きな太宰もまた、偽善に対して戦いを挑んでいった作家だった。彼は、イミタティオのイエス・キリストになろうとしていたのである。彼はその一方で、自身にサタンを感じてもいた。  
 二つ名のある、といふのが日本の歌舞伎では悪党を形容する言葉になつているやうだが、サタンは、二つや三つどころではない。ディアボロス、べリアル、ベルゼブル、悪鬼の首、この世の君、この世の神、訴うる者、試むる者、悪しき者、人殺し、虚偽の父、亡す者、敵、古き蛇、等である。(太宰治の短篇小説「誰」より)
 町田康さんの長篇小説「宿屋めぐり」、その主人公〈鋤名彦名〉は数々の偽名を用いている。彼はどうやら、サタンの末裔らしい。〈鋤名彦名〉。この名はどうやら、スクナビコナをもじったものらしい。しかし、それだけではない、と私は思いたい。
 彼をあの園から他の所に追放し、彼がそこから取り出された、(中略)土を耕させることにしたいと思う。(『失楽園 下』より)
 〈彼〉とはアダムのことである。ようするに、〈鋤名彦名〉は、楽園を追放されたアダムの末裔としてもあるのではないか。土を何で耕すか、といえば、それは〈鋤〉にすがるほかないからである。〈鋤〉をとり、土を耕す。それが、人類の救いの道として示されたことだった。よって、〈鋤名彦名〉という名には、救いを求める者、という含意があることが推察されるのである。「宿屋めぐり」は、町田さんが日本の神話とキリスト教とを自然に結びつけ、アウフヘーベンした見事な作品、と言えるだろう。
 そのほか、こんなことも考えた。
 伊藤一郎氏に、芥川の短篇「河童」において、老人として生まれ、年を経るごとに若返っていく河童に着目し、「河童」に〈寓話〉を見出した論文がある。伊藤氏は、この特殊な生をおくる河童には、〈母胎回帰〉のイメージが漂う、と述べている。そこで私は思うのだが、〈母胎〉とは必ずしも河童のそれではないのではないのか。芥川は太宰に先んじて『聖書』に強い関心を示した作家である。その彼ならば、人類のはじめの〈母胎〉としての〈塵・土〉を、〈母胎〉としてとらえていた可能性も、あるのではないか。神は土くれから、アダムを作り出したからである。芥川は「河童」という<寓話>の世界に、救いの道を託したのかもしれない。
 附記。土を耕すのは、<鋤>ではなく、<鍬>らしい。とっちばれっこ。
  
あらゆる意味でヨーロッパの古典なのですがー ★★★☆☆
“失楽園”は私にとって読みにくい作品でした。 聖書には簡潔に記されている天界の戦い、天地創造、アダムとイヴの楽園からの追放が叙事詩として書かれているのですが、上巻の大戦争などは、サタン以外の大天使たちは皆“造物主たるあのお方に逆らったお前が100%悪いのだから”と、完全に絶対正義の側にある、こちらが共感をよせられないロボット的性格で、そういう人物たちの繰り広げる戦争絵巻に私は興奮することが出来ません。 まったく痛みの伝わってこないハリウッドのCG大作を見ているような気がするのです。 

この作品で感情移入出来るのはむしろサタンの方なので、これは筋金入りのクリスチャンが読んでも奇妙な齟齬を感じるのではないでしょうか? 他のレビュアーの方々も口をそろえて“一敗地にまみれたからといってそれどうだというのだ!?”というサタンの台詞に感動していますが、クリスチャンにとってサタンとは感動すべき存在なのでしょうかー? キリスト教の本でありながら、それと何の関係も無い古代ギリシャの神々の名が随分出てきますし、天界の大戦争もむしろギリシャ神話的で、この辺、なにか奇妙な分裂を感じさせます。 やっと佳境に入ってくるのは第9巻以降で、特にアダムとイブの罪のなすり付け合いなどはすごいです。 他にもキリスト教の本質にまつわるミルトン自身の熱い信念がかいま見られます。 ただし、そこに述べられている事(肉欲に溺れてはならないとか、神の摂理に逆らってはならない、など)は、キリスト教徒の専売特許ではないはずだと私は思います。  

結局、古代ギリシャ世界、聖書の世界、すでに分裂してしまった近代人の心(サタンを前半の主役にしていることからしてもそれは明らかです)を全て含んだ、まさに正統派近代ヨーロッパ文学の古典なのですが、やはりキリスト教文学と世界文学(人種や宗教を超えて、あらゆる人間にアピールできる)の中間点にある作品なのでは?と私自身は感じました。 

日本語訳(というか研究)がすばらしい。天使と天使の力のぶつかり合いが一番おもしろかった。 ★★★★☆
非常に評価が高いのは、読んでみてわかるが、まず日本語訳がすばらしい。というか、ただの訳者ではなく、あきらかに研究者である。本の5分の1程度の頁が、訳注にあてられており、聖書との関連性をはじめ作者の意図を読み込んだ訳作りがありありとわかる。

僕は普段あまり難しい本は読まないのだけれど、この本については、少しのがんばり程度でよめる。なぜ「少しのがんばり」かというと、「詩」であるので、ものすごい技巧的な表現が多い。とても普段使わないような修飾語が多く、それをじっくり味わうつもりで読まなければ、この本の真価はわからない。

そういう意味で、自分がこの作品に5つ星をつけるのはあまりにおこがましいので、4つ星にさせていただいた。

この作品は、1600年台なので、もちろん聖書がかかれた年代から考えれば、その創世記に新たな息を吹き込んだその試みは、現代で聖書をとりあげるのとそんなにかわらないのではないか。特に面白かったのは、ミルトンはガリレオと交流があったようで、その影響か、アダムと天使の会話に、天体の話がでてくるところだ。天動説か地動説かはっきりとは書いていないけれど、要するに、神が設計した宇宙の神秘を、愚かにも人間が解き明かそうなどと考えず、神が人間に期待したように信仰にいきるのが大切だという主旨になっている。

また、上巻の善と悪の天使軍団の戦いは、日本語が超一流なので、まるで舞台か映画をみているようだ。天使が力と力でガチンコ勝負するなんていままで考えたこともなかった。漫画デビルマンの最期をつい思い起こしてしまう。というか、永井豪さん、絶対これ、よんでると思う。

もひとつ面白かったのは、アダムとイブが禁断の果実を食べた後、仲がよかった二人が、責任転嫁をし合うくだり。想像力豊かな聖書からの肉付けが楽しめる。