全ての歌に入念な校注
★★★★★
「山家集」他西行家集に入念な校注が施されている。通釈、語釈に留まらず、典拠、関連事項をも示している。一例を挙げると、
久に経て我後の世を問へよ松跡忍ぶべき人もなき身ぞ
【通釈】大師同様に永遠の生命を生き続けて、私の後世を弔ってくれ、松よ。私は大師の跡を慕ってここまで来たが、私を偲んで来るような人は誰もいないのだから。
【語釈】久に経てーいつまでも生き続けて。「…久に経る三諸の山の…」(万葉)に依る。
・近年まで玉泉院境内にあった松を「久の松」と伝承した。道範の南海流浪記には、この歌が善通寺南大門前の西行庵で詠まれたとするが、上人集「善通寺の山」とは抵触する。
このように、校注者は肝心なところを一つ一つ丁寧に考証している。西行の歩いた所を伝承も含めて実地踏査されているようである。単に文献学に終わらず、西行の虚実の像を追って、広い視野で多角的に全的に歌を捉えていると言えよう。