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悪党芭蕉 (新潮文庫)

価格: ¥578
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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一筋縄ではいかない「悪人」 ★★★★☆
これは面白い。芭蕉もつまるところ、当人には意図されない形で後世に「誤解」された芸術家なのです。俳諧商人、俳諧興行プロデューサー、文学的極道などという造語がこの危うい境界線上に存在した芭蕉の本質を見事に描いています。そう「芸」なんですね。俗に流されてはいけないが、俗から脱してしまうともはや俳諧師、芸人としての存在意義はなくなってしまう。「漂白願望と俳諧興行のドッキング」とはいいえて妙です。そして文芸まで賭博の対象(俳諧賭博)とした変貌する元禄の「流行」の中での「不易」への探求が必然的にもたらす弟子たちとの対立。いつも芸術に内在する矛盾を最後まで体現しながら最後まで17文字の世界へ取り付かれた芭蕉の人生が丁寧に描かれています。7章の超簡訳「猿蓑」は芭蕉の連句を、「かなりの古典知識と句作経験」のない素人にも、その「約束事」と「ルール」を含めてわかりやすく説明してくれます。「弟子たちが四分、五裂したからこそ、最終的に芭蕉が残ったのである」との結語も見事だな。芭蕉紀行 (新潮文庫)との併読を勧めます。
刺激的な一冊 ★★★★★
 本書に直接の言及はないが、〈芭蕉忍者説〉が浮上したのは、あるいは、こんな理由があったからかもしれない。そんなことを考えた。本書によれば、芭蕉の弟子其角、その父(もまた、弟子である)竹下東順が諜報機関に属していたり、弟子となった服部家は伊賀忍者の家系だったり、芭蕉周辺に、〈忍者〉的な人たちが取り巻いていたらしい。

 〈生類憐みの令〉がなければ、〈古池や……〉の句は誕生しなかったかもしれなかったこと。
 〈芭蕉〉という俳号以前に、〈桃青〉と名乗っていたこと。
 〈芭蕉〉という俳号に隠された物語。
 〈芭蕉〉の本職は、水路の土木工事技師だったこと。
 『笈の小文』に見る危険な道行。
 芭蕉が、〈菊〉に込めた意味。
 連句によって紡がれた物語、そして、その裏で行われたであろう、師弟間あるいは弟子同士の駆け引き。
 タイトルは、『悪党芭蕉』。
 芭蕉の一つの願いとして、『奥のほそ道』を故郷の兄・半左衛門に読んでもらいたい、評価してもらいたい、というのがあったそうだ。全然、『悪党』らしくない。あるいは、『悪党』の自覚があったからこそ、肉親に認められたい、という甘えの心理が働いたのかもしれない。この辺、『津軽』を書いた太宰の心理に、少し、通じているような気もする。
 嵐山さんの、魅力的な謎の提示、そして、これまた、魅力的な謎解き。要するに、読ませる。私も俳句の世界に疎いが、ぐいぐい読ませる。私も、芭蕉の紀行文を、読みたいと思った。
 刺激的な一冊だった。
 
“聖”ではないというメッセージ ★★★★☆
“俳聖”として崇め奉ってはいけないとういう本。
芭蕉は確かにすばらしい。素晴らしけど“聖”ではない。
好き嫌いもあるし、嫉妬もす、人間味あふれる人間像をあぶり出している。
俗世間への色気を持っている人物だからこそ魅力的であるという
メッセージがよくわかる。
嵐山さんならではの、そしてレベルの高い芭蕉論である。

しかし、“悪党”は刺激的、ジャーナリスティックすぎるように思う。
「俳諧のカリスマは天性のワルだった」という帯のコピーも一面しか
とらえていない。
内容の濃さをきちんと示すふさわしい題名とコピーがほしい。
蕉門の人間劇 ★★★★☆
芭蕉とその弟子たちの確執を描く作品。
変化し続ける宗匠についてゆけない弟子たち。
衆道の愛憎に揺れる者たちもあれば、句風の変化に戸惑う者もいる。
其角や去来のような大物だけでなく、弟子一人一人に目配りの行き届いた記述です。
また歌仙の様子など、俳諧に疎い私にもその場の緊張感や親近感が伝わるような書きぶりで感嘆しました。
「悪党」は誉め言葉 ★★★★★
 俳聖または枯れた宗匠というイメージに目を曇らされずに、新しい俳諧の確立に苦闘する芭蕉の実像に迫ろうという視点が新鮮でその試みも成功している。
 綱吉の元禄時代という背景をきっちり押さえ、個性豊かな其角をはじめとする弟子達との関わりを巻かれた歌仙を読み解くことで解き明かすなど著者の学識、推理力、想像力、調査力を総動員し、芭蕉が目指したものとそのための闘いの跡をすんなりと理解させてくれる手並みは見事である。凄みの有る、なまなましい「悪党芭蕉」に出会える。