月曜の朝、真っ裸の小さなおじさんに起こされた少年は否応なく世話をやくはめになる。パンや牛乳、ジャム、紅茶、銘柄(庶民的で体に悪そうな)を指定して、おこづかいで買わせる。部屋で肉を焼かせる。ビールを飲む。上流志向の人々を皮肉るようなおじさんの態度は、痛快だ。
「わしは小さくなんかないぞ。わしは、わしの大きさであるにすぎん。きみはきみの大きさであるようにな」。おじさんは、かわいい小人、珍しい生き物として扱われることを断固拒否し、大人の毅然とした態度を決して崩そうとはしない。一方で、小人である限りは誰かの手を借りなくてはならないという事実も存在していて、そのことでふたりはきちんとぶつかり合い、ケンカもする。そんなふうにして、師弟関係のような固い友情がふたりの間に築かれていく。
訳者、林望の「あえて辛口の乾いた言葉で訳してある」という言葉どおり、文章量もとても多く、難しい言葉が頻発する。だが、臆せず、子どもにも読んであげたい。すぐには理解できなくとも、愛すべきこの「おぢさん」に、子どもたちは成長するごとに違う感情を抱くことだろう。(門倉紫麻)
ところどころにでてくる英国の日常品ブランドの数々は、以前住んでいた者にはとても懐かしいものばかり。ゆで卵の「黄身はトローリと。とはいえ、白身はしっかりと固まっているようにな。」なんてところは、おもわずうなずいてしまう。原本は1992年に出版されているが、当時訳されたとしても、こういうニュアンスが分かる人はそれほど多くなかったのでは、と思う。90年代の英国ブームを経て、満を持しての訳出。
どっぷり英国風の、人と人がつきあうってことはどんなことなのか、を考えさせてくれる、とってもいい絵本。
ところで最後のページのおぢさんの置き手紙。原本ではどんな字なんだろう?
あぁ、また英国に行きたくなっちゃった。。。
この12月に発売されたばかりだから最新作かと思いきや、90年に英語版が出されていたみたい。な、なんで10年もほっておいたんだろう?ブリッグズのまだ邦訳されていない絵本(コミック?)は2冊ほどあるんだけど、それらも素晴らしいにちがいない、ともう、確信してしまいました。
『さむがりやのサンタ』や『スノーマン』のような明らかな【マンガ】ではなく、絵本とミックスされたようなスタイルで、字も多くって、繊細で優しい男の子とマッチョで(身体は10センチほどだけど)けっこうガサツなおぢさんとのやりとりが楽しめます。
かといって、楽しめるつったって、『サンタ』みたいに無邪気なたぐいのものではなく、人間の心の奥にひそむゴタゴタしたモノ、闇、をかきわけつつ楽しむ、といったかんじで、うーん、オトナ向け。個人的にはおぢさんが屋根の上で、暗い月を眺めている、そのうしろ姿がスキ。【生活】を背負って生きていく中年サラリーマンの姿にダブります。
あらすじは、普通に両親と暮らしている少年のもとにある日ものすごく小さい【おぢさん】が現れて、なぜか少年が彼のお世話をすることに・・小さすぎるもんだからこの世話がなかなか大変で、しかもおぢさんがなかなか自己主張の激しいやつで・・というもの。
て書いたら「なんだ、それだけ」と言われそうですがこれがなかなか読ませるのよ。ふかい!とても!
同じ作者の『風が吹くとき』はモロに原爆の風がこちらに吹きつけてきて少々読むのが辛いけれど、この『おぢさん』は『サンタ』の楽しさと『風』の辛さを足して2で割ったようなおもむき。つまり、ちょーどよいのでございます。
絵本であるからもちろん、絵も見所であるが、この絵本は文字も多く、イギリスの生活に密着しすぎて日本人にはなじみのない事柄などについては小さな文字で何と語釈までついている。
もちろんこどもに読んでやって良いものであるが、この内容には、むしろ大人の方が強い衝撃や共感を受けるのではなかろうか。