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精神・自我・社会 (デューイ=ミード著作集)

価格: ¥3,675
カテゴリ: 単行本
ブランド: 人間の科学社
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アメリカ「哲学」の真髄 ★★★★☆
ミードといえば、生前公表された書物は無く、本書も遺稿である。だが、本書の後世への影響は強烈で、アメリカ社会学、ミクロ社会学に留まらず、ハーバーマスが言及したことから、社会理論一般への大立者へとのし上がった感がある。どちらかといえば、20年前までは、日本でも、例外を除けば、哲学者よりも社会学者や社会心理学者の「おはこ」だった感じがする。私は、長く著者を、ヘーゲリアンだとばかり思っていた(一般にプラグマティズムはその発想・スタンスにおいてヘーゲルの影響は甚大。)。表題もいかにもそんな感じがするし、「I」と「me」は、an sich と fur sich の焼き直しで、「精神現象学」の意識のトリアーデより単純すぎると思ってやや軽蔑していた。が、この翻訳で読んでみると、著者のオリジナリティは痛感した。「me」は、社会標準を内面化して自身を逸脱しないように誘導する「反省的自我」であり、「I」とは、「行動主体の自我」であって、しばしば社会標準から逸脱傾向を持つが、創造性の源泉はここにあり、「me」には、包摂できない残余が残る、という部分に私は惹かれる。「me」に把握できて初めて「意識化」される以上、そこから逸脱する行動主体の自我は、一体何なのか。著者と同じ時代に、日本では、漱石や西田幾多郎が活躍している。「三四郎」には、まさにこの「ミード」的問題がある。見つめられた意識以外の意識を描こうとする試作だった。「善の研究」の「純粋経験」とは主客分離以前の意識の経験だった。いずれも「I」の問題だった、と思うと同時代性の不思議を感じるのである。