近代思想史の未知の世界
★★★★★
シンプルゆえにすさまじいタイトルがついているが、近代の意味や原理の考察などはあまり詳細には行なわれていないので注意されたい。基本的には、近代日本思想史の新しい読み方(語り方)に関して、著者がここ数年の間に色々なところで書いたり語ったりしてきたことを再構成してまとめた本であると見てよいだろう。著者の幅広い読書経験と思想史的な勘の良さによってもたらされた斬新な指摘が随所でなされいて、非常におもしろかった。
南方熊楠の多種多様な性の表現への関心に、神社合祀政策に対抗し神の森の「自然」がはらむ自由な世界を守ろうとする意思と通定する精神を読み取り、柳田國男の日本人の「固有信仰」という発想はシオニズム運動から示唆を受けて出来たものだと論じ、鈴木大拙の「霊性」の思想の形成にあたってスウェーデンボルグの翻訳的読解がもたらした影響を再検討し、またこれは今のところ著者によってなされた最も刺激的な指摘だと思われるが、マッハ哲学を受容しつつ仏教に開眼したポール・ケーラスが展開しようとしていた「自我」の破壊と究極的な一元論の思想運動が、一方では大拙を介して西田幾多郎や折口信夫による独創的な哲学や言語論を発生させ、他方ではパースやジェームズらのプラグマティズムへと広がっていった、という経緯の発見である。いずれも、新たな思想史の文脈を解読してくための非常に重要な議論であると思う。
書き下ろしではないため、序章で論じられたような南方・柳田・折口・大拙・西田の同時代性という点についてはそれほど立体的には考察されなかったのが物足りなく、また最後の井筒俊彦論は時代がちょっとズレるのでそれ自体としては興味深いが違和感があるなど、不満も多少はあるが、とにかくパワフルな文章で書かれた思想史的文芸評論には魅了されるところ大であった。