理解されえない秘められた心の内幕。
★★★★★
福田恆存氏の解題によれば、オスカー・ワイルドは、アイルランドのダブリンの有名な医者の家に生まれ、ダブリン大学からオックスフォード大学に進学しました。
この頃既に芸術運動の指導的な人物になっており早熟な天才ぶりが伺えます。
そのオスカー・ワイルドを描いたミュージカルがアメリカで人気を呼び、「人気者」としてアメリカ訪問を行いますが、実用主義と合わなかったようで、喧嘩別れのようにしてアメリカを去ります。
パリを経由しロンドンに戻ったワイルドは、喜劇作家として全盛期を迎えます。
しかし、意外な形で社会から葬られてしまいます。それはワイルドの男色が訴訟事件となり、獄中に追いやられたためです。
「サロメ」は、ワイルドが喜劇作者として全盛期を迎える直前に書かれたものです。
現在上演される「サロメ」は、リヒャルト・シュトラウスが歌劇に仕立て上げたものだそうです。福田氏は、それなのに、戯曲としてこれほど読まれている作品も他にないだろうと書かれています。
「サロメ」は、新約聖書から採られた作品ですが、解題を読んでいて王女サロメは、オスカー・ワイルド自身を投影しているのではないかと感じられました。
ワイルドは、早熟な天才で若くして名声を得ますが、誰にも語れない禁断の恋をしています。
美しきサロメは、ユダヤ王に何でも望みを叶えてやると言われ、切り落とした首に恋を語ります。
理解されえない秘められた心の内幕が、何かの偶然にこぼれだしたのではなかったのだろうかと感じられるのです。
こりゃ大変だわ!
★★★★★
妖婦・悪女サロメのエピソードは古今東西様々な絵画で描かれてきたが、福田恒存訳のこの岩波文庫版には、ビアズレーの挿絵が載っている。モノクロの画面がかもし出すなんともいえないエロチックな雰囲気が凄い。
サロメはヘロデ・アンテポスに踊りの褒美として、ヨカナーンの首を求めたということであるが、このヨカナーンとはあのヨハネのことなのだ。
サロメの一方的な恋愛感情を無視したばっかりに、首をはねられてしまったヨハネといい、近親相姦といい、我々日本人には理解不可能なテーマが天こ盛りのキリスト教世界ではある。
サロメの魅力
★★★★★
ピアズリーの挿絵を美術館で見て買った一冊です。
黒インクで描かれた挿絵が印象的だった。
そしてストーリーも、いろんな芸術のテーマになっているくらい衝撃的で破壊的だと思う。
聖書の預言者ヨカナーンの殉教を題材に、主人公をヘロデ王の娘サロメにしたことで妖しく美しく仕上がっている。
同じ作者が「幸福な王子」を書いたとは思えないくらい、雰囲気の違う作品だった。
文語体の訳が読みにくいけれど、慣れればそれも味があるのかも。
おかげで頭の中で音をイメージしながら読んでいったからね。
サロメが恋した男の首を切り落とさせた気持ちは、わからなくはない。
命を奪ってでも自分のものにしたいという狂気のような執着かな。
だが狂気にとりつかれたかのような彼女にもまた死が襲う。
恋愛なんて生易しいものじゃなく、生死さえもどうでもよくなった女の妄執なのだろうか。
脚本形式になっているってことは上演したのかも。
「わたしはおまえにくちづけするよ」って、どんな声で言う台詞なんだろう。
叫ぶように? 囁くように?
戯曲です。
★★★☆☆
悲劇ということになるのでしょうか?
美しき王女サロメの、
預言者ヨカナーンへ対する、
“狂気の愛”が描かれています。
全体的に暗い雰囲気で包まれていますし、
好みが分かれそうな内容です。
本に関しては、
改訂版でも旧仮名遣いがされています。
「読みにくい」と言うほどではないのですが、
読もうと思う方は注意が必要です。
残念ながら、
個人的にはそこまで楽しめなかったので評価は星3つです。
ワイルドの豊麗な視線
★★★★☆
まずは何といってもピアズレーの挿絵に魅了される。挿絵だけでも本書を手元に置く価値がある。そして福田恆存の格調高い翻訳。日本語の響きが誠に美しい。おもしろかったのは、ワイルドの描くヨカナーンの美しさである。サロメが讃えるヨカナーンの肌の白さ、その髪、その脣。それは若い娘の視線にはありえない描写であって、その耽美的な視線はまさにワイルドそのもの。手元の新約聖書を紐解いてみると、マタイ伝、マルコ伝は実にわずかな描写であった。しかもヨハネの首を欲したのは、娘ではなく、その母だった。それを恋の悲劇に仕立てあげたとは、さすがにワイルドである。
マタイ伝第14章第3-12節「実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが「あの女と結婚することは立法で許されていない」とヘロデに言ったからである。ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、みなの前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。それから、ヨハネの弟子たちがきて、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した」
マルコ伝第6章第17-29節「実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜならヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼をおそれ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。ところが良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入ってきて、踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐ洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持ってきて少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子はこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた」