宗教の本質とは?
★★★★★
プラグマティスト、ジェイムズの講演録。
講演なのでわかりやすい。
以下概要(下巻もまとめてレビューする)
1章 宗教心の起源は重要ではない。宗教の価値は、それが与える果実によって決まる。
2章 宗教は、苦痛を幸福に変える。
3章 知覚出来ないものの現前(を準認知すること)は宗教へとつながる。人は合理的なものより不合理なものを信じやすい。
4・5章 ある種の宗教は、悪の存在を無視し、世の中の善・正しさを頭から信じることで、実際善い状態になっていく。
6・7章 別の種の宗教は、世の中の本質は悪(失敗)であると見て、そのため反省、悪からの回避、人生への絶望へと至る。
8章 人格統合には、急進的変化と漸進的変化がある。
9章 回心とは心の関心・焦点の変化である。回心には、意識的なものと無意識的(自己放棄的)なものとがある。
10章 急激に起こった回心は、その人にとって決定的で忘れがたいものになる。
11〜13章 宗教は、人を愛・禁欲(自己犠牲)・純潔へと至らしめる。
14・15章 宗教は、知性を持ち合わせていないとアンバランスで偏狭な状況へと人を追いやるが、知性があるならば社会的にきわめて有用である。
16・17章 神秘主義とは、自己と世界・宇宙の同一化の経験である。
18章 宗教は個人的なものであるゆえ論証不可能なものであり、したがって哲学はこれを取り扱えない。
19章 宗教において、祈りは成就の感覚を獲得する役目を果たす。
20章 宗教は、個人の内から起こる感情の知覚によるものであるため、自己中心的である(もっとも、実在はすべて自己中心的なものだが)。したがって、宗教は科学で乗り越えられるものではない。宗教とは、個人の潜在意識から起こるものだが、それは「より高いもの」によって起こされた、つまり外から起こされた、と感じられるものである。
宗教に関する刺激的な叙述が多い。
具体例が多いため、いささか冗長だが、良書である。
精神病理の諸相は宗教的に克服され得るか?
★★★★★
1901〜2年、英国での招聘講演録全20講中前半10講を収録。
停年前の体調不良を押して、数年の準備期間を経て行われた講義は、
第一講 宗教と神経学
第二講 首題の範囲
第三講 見えない者の存在
第四・五講 健全な心の宗教
第六・七講 病める魂
第八講 分裂した自己とその統合の過程
第九講 回心
第十講 回心−結び
第十一・十二・十三講 聖徳
第十四・十五講 聖徳の価値
第十六・十七講 神秘主義
第十八講 哲学
第十九講 その他の特徴
第二十講 結論
という議題からも判るように後半になるに従って、肯定的な面がより多く展開される。従って、宗教的経験の負の側面を考えたい場合には前半の上巻に当たらねばならない。
〈意識に直接作用する人格的存在〉について実は良くない負の側面があって、しかしながら、〈意識に直接作用する人格的存在〉がその実よく解明もされていない以上それをどうすることもできないのだという実情は百年前から変わっていない。後半により肯定的側面が語られるのは、それを痛いほど判っていた心理学者のジェイムズが構想として故意にそういう編集にしたということに他ならない。彼はこの一連の講演の中で克服されざる精神異常を宗教的経験により克服する道を模索しているとも言える。彼は決して「悪の事実こそ、人生の意義を解く最善の鍵・・・もっとも深い真理に向かって私たちの眼を開いてくれる唯一の開眼者」であることを確認することを忘れているわけではなかった。
宗教心理学の先駆けとなる名著
★★★★★
内容を掻い摘んで言うとこんなかんじかな:
・哲学の主張する客観的捉え方での存在観を認めつつも、それはあくまで個々人の宗教観に理論付けをするという二義的なもので、各々の個人が生きる経験的で自己中心的な世界観こそ世界における唯一の場である。
・すべての宗教が合流する一点にあるのは、「不安感」と「その解決」である。
・個人が抱える不安感はより「高いもの」の存在を意識し、それに触れることで救われる。これがすべての宗教が内包する核である。
・「高いもの」との合一の感覚が神秘主義の目指すところであるが、この高いものに含まれ、高いものが自己自身と感ずることで自己実現が果たされる。
・この「高いもの」の存在は心理学が認める「潜在意識」として捉えることができる。潜在意識と意識は不離分の関係にありつつも、潜在意識はより広域で永続的であり意識を支配する。このことは、高次のものとの合一を求める宗教的な行動が客観的にも真であることをみとめさせることができる。
・この意味で、宗教的な経験がより健全に人が在ることの要因になる。
ってなところです。
ジェイムズも言っているが、宗教の核はその「高次のものとの合一感覚」だったとしても、その方便が世界に何百とある各宗教であり宗教哲学であるんだから、そのなかで現代世界の必要とする「宗教の核への接ぎ木」を作るのが宗教学の課題ではと思う。
宗教になにをみるか。
★★★★☆
著者は、プラグマティズムで有名な思想家であるが、有能な宗教学者でもあった。宗教に何をみるか。現代社会の、宗教がほとんど実際力がなくなってしまったように見える世界で、実は突きつけられているのがこの問いではないか。現代社会はあまりにも宗教に対して偏見を持ちすぎている。こうした優れた学者の研究はそうした偏見の目をもつ人々に対して多くを語りかけてくるだろう。
実在の深みを探る思索
★★★★★
この本は、もともと自然神学をテーマに開設された連続講演の講義録だったらしい。聴衆に語りかける語り口が親しみやすく、引用が多いわりには平易で明快な論述になっている。
全体に、知識人の宗教否定的な論調に対して、宗教経験が持つリアリティを擁護する議論になっているが、そこには、人間の経験する世界の多様性を積極的に認めていこうとするジェイムズらしい主張がこめられている。
講義の全編を貫く主題は、リアリティとは何かという問いだといえるだろう。様々なタイプの人間が、それぞれの仕方で、これこそ自分にとってリアルな存在だと感じるものがある。それが別の立場の人間からは否定されたり軽視されたりするものであっても、等しく人間の生を基礎づける根本的なヴィジョンであるかぎり、その意義と価値を認めていこうというのが、ジェイムズの基本姿勢のようだ。わたしたちを取り巻くリアリティは、ある特定の立場からその全容を解明されるようなものではなく、どこまでも奥深く、多様な側面をもったものなのだ。ジェイムズが語る宗教経験の諸相は、多様な仕方で現われるリアリティのどこまでも深い深みを、多角的に照らし出してくれる。これは、宗教的寛容や、宗教多元論など、現代社会が直面する課題にとっても、とても有益な、ほとんど唯一の方向性を示した見解ではないだろうか。