「ヘンリー五世」は<五幕で描かれた国歌>とも呼ばれ、本国イギリスではとても人気があるそうです。内政が不安定なときほど外国に敵をつくって国民の眼をそらせ、という父王の教えに従って(「ヘンリー四世2部」ーーなにやら現代そのままのような政治哲学です)、今や国王となったハルはフランスを攻め、これに勝利します。以上のことからもご想像のとおり、イギリス国民にとって「王の鑑」であるヘンリー五世王を扱ったこの戯曲は大変愛国主義的な作品で、戦時には戦意高揚のためにしばしば政治的プロパガンダとして上演されてきたという経緯があります。それでも1944年、つまり第二次大戦の真っ只中にローレンス・オリヴィエによって映画化された際には、台詞全体の半分以上に削除・訂正が加えられたそうです。内容は一見好戦的なのですが、実際に上演しようとすると戦意高揚にふさわしくない台詞がこんなにも多く含まれていた、という訳です。
もし偏見や思い込みから最も遠い芸術家がいるとしたら、それはシェイクスピアだと思います。マルクスもフロイトもシェイクスピアからたくさん引用しています。一方で多くのキリスト教関係者が、シェイクスピアの作品によって神の言葉を補強できる、と信じているようです。彼の作品はキリスト教的にも反キリスト教的にも読め、そして、いずれの側から発せられる言葉にも大変な説得力があります。私はこんなにスケールの大きな作家を知りません。一つの作品を読んでもそうですが、全作品から与えられる印象となると本当に圧倒的だと感じます。