この戯曲は劇場外の実際の政治舞台でも興味ある使われ方をした。1601年、エセックス伯爵が反乱を起こす前日に、シェイクスピアらにこの悲劇の上演を依頼した。結局反乱は失敗し、エセックス伯爵らは処刑される。そのときシェイクスピアのパトロンだったサウサンプトン伯爵も一度は死刑を宣告され、エセックスにリチャード二世の晩年の年代記を献呈したヘイワードという歴史家も投獄された。だが、シェイクスピアたちには全く(!)とがめがなかった。ーー彼らはいったいどうやって、この危険な瞬間を逃れたのだろうか?
シェイクスピアは現実感覚に長けた男で、実生活では着々と成功の道を歩んでいる。いやらしいほど世渡りが上手だったらしいのだ。同時代人は彼のことを「ジェントル・シェイクスピア」と呼んでいる。誰一人として彼の悪口を言っている者はない。--けれども、いわゆる人畜無害な「ジェントル・マン」に、あれほど不条理で残酷な世界が描けるものだろうか?
中野好夫は名著「シェイクスピアの面白さ」の中で、「シェイクスピアの人当たりのよさ、温厚さ、そしてまた他人にあたえた好印象というものは、実はその底に驚くべき聡明な人生打算、そしてまた人間性の真実を知り抜いていることからくる絶望に裏づけられた一種の仮面だったのではなかろうか」と記しているが、私もやっぱり彼は「いやになるほど聡明な、そして食えない男」だったろうと思う。
天才の人格と才能は、しばしば一致しない。シェイクスピアのように人当たりが良かったからといって非難されるのも、当人にとっては迷惑な話かもしれないが。