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心は実験できるか―20世紀心理学実験物語

価格: ¥2,520
カテゴリ: 単行本
ブランド: 紀伊國屋書店
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立ち止まって考えざるを得ない 心理学や精神医学に対する「懐疑」 ★★★★★
本書には実験と結果についての批判も載っているので注意深く読みたい。
素人でも、厳密に科学的に見ようとすると「懐疑的」にならざるを得ない心理学や精神医学。
それは再現性が保てないからである。有意なデータと言われても作為が働いているか検証できないからである。
さらに、クライエントや診療する側の人間になって、それらと実際に触れると信者になるか「屈折した感情」を持つようになる(らしい)。

本書は、そういう「屈折した感情」を持つ心理士(どうやら日本の臨床心理士とは職掌が違うようだ)の著者(女性)が、
これまで行われた 心理学精神医学上の「疑問の多い」実験を取り上げ、紹介する。
自ら再実験を行っているものもある。

一例を紹介する。
スタンフォード大学のローゼンハン法学心理学博士は1972年、仲間8人と語らって、精神病の偽患者として、病院を訪れた。
するとその8人全員が入院措置をとられたという。その発表に怒った別のある精神病院は、
3ヶ月の期間を切り、ローゼンハンが、いくら偽患者を送ってきても見破ると宣言した。
ローゼンハンは受けて立った。3ヶ月を終え、病院は41人を正常と判断したと発表した。しかし、ローゼンハンは少しも慌てなかった。
なにしろローゼンハンは何も手を下していなかったのだ。偽患者など一人も送っていなかった。自然に任せただけだった。

90年代に、この実験を著者が再実験する。著者が偽患者になって病院を訪れると、すべての病院は優しく手厚く話を聞いてくれた。
どの病院も入院させようとはしなかった。しかし、どの病院も全く同じ対応をした。その対応とは……。

つまり70年代は閉鎖病棟での入院が、90年代は上記の対応が、精神病治療の主流となっている事を示しただけだったのである。
1930年代は精神医学といえば、精神分析と同義だったので推して知るべし。
うー、恐るべし。 ★★★★★
いくつかのレビューも指摘しているが、確かにロフタスに関する章の語り口には、ここまで書くか?という印象を持つ。たとえていうなら、むちゃくちゃ頭の切れる心理学会の柳美里とでもいおうか。
 それはさておき、そうではあるが、この著者を侮っていけない。単なる感情的な表現としか評価できないとしたら、思想において読者の負けである。著者が一貫しているのは、心理学(いや実は科学、あるいはポストモダン思想も含めて)の持つ根本的な意味の追求である。それは、心理学において還元主義・客観主義を装うことが、データによっては掬い上げられない人間一人ひとりの”事実”を捨象することでしかないことに対する抗議であり、また見えないものは存在しないものとして扱う悪しき科学・合理主義に対する憤りであろう。また、ある種の仮説を立てたら最後、その仮説に縛られ思考、発想がその仮説から抜け出せなくなる狭量な人間の限界に対する申し立てである。
 著者は、ロフタスの章で、「ロフタスはアネクドータルな証拠を「アネクデータ」と呼ぶ」とロフタスを揶揄しているのだが、これは、アネクドータルな=逸話的な証言の持つ客観的事実とは別の豊かさを、科学的という名の下に数値化=データ化してしまうことに対する著者の苛立ちをあらわしている。だからといって、たんに情緒的に心理学実験を批判をしているのではない。実験によって確認された事実に関しては明快な評価を下していることを読み落としてはならない。たとえば、モニスのロボトミーのその後の意義に対する一定の肯定的な見解は、精神科で使われる薬物に対する批判がアメリカでは行われないこととと絡めれば、きわめて説得的な議論といえよう。カンデルの研究に対しても「彼のアプローチは間違いなく還元主義的だったけれども、部分部分の総計よりはるかに大きな洞察を生み出したのである」と妥当な評価を下していると思う。
 少なくとも著者は、これら10の実験をさまざまな側面からその意義を検討している。一見主観的に書かれた書物のようには見えるが、実は高い客観性を保持しているといえよう。だが、著者の目指すものが、心理学実験を行う心理学者の持つ背景の影響を考えるというメタ分析であり、そこに還元主義を超えた意味を見出そうとする以上、著者自身が自分もまたメタ分析されるということだ。
 たとえば、この著者を境界型パーソナリティ障害だとかいう読みかたをする読者があるかもしれない。でもここまで鋭い著者のことだ、「解釈はどうぞご自由に。私自身が何者か、その証拠は本文中に一杯ばらまいてあるわよ」と反論するであろう。
語り口に確かに気になるところはあるものの、著者の恐るべき高い教養と、見識に脱帽して星5つである




教養書と娯楽書の間 ★★★★☆
著者が心理学の学位を持ち、臨床心理士でもあることを考えると、どうしても教科書的厳密さや妥当性を求めてしまいがちなのかも知れないが、本書はあくまでも、精神疾患に苦しんだ経験を持つ著者の個人的産物だ。著者にとって、心理学・精神医学は生活の糧というよりは、「こだわり」の対象なのだろう。
私は心理学のことを詳しく知らないが、選び出された10の実験が、20世紀心理学史をなすものだとは最初から思わなかったし、著者もその旨を断っている。更に著者は「物語を語る」と宣言しているので、実験を紹介しつつも、関連すると思われる自分自身の経験を語ったりしているのも普通のこととして受け取った。
つまり本書は、内容的には科学を扱っているが、娯楽のための本ということであって、私はそれに不満はない。そもそも、私がこの本に出会ったのは、著者がゲストエディターを務めたThe Best American Essays 2006の中で書いていた序文であり、そこで彼女は、この本について批判を受けたことを生々しく語っていたから興味を持ったのだ。
☆を1つ減らしているのは、そうではあっても、もう少し実験について具体的な記述が多かったらもっと面白かっただろうにと思うからだ。
本書は翻訳書としてとてもよくできていると思う。文章がこなれており、誤訳を疑わせるような引っかかりが皆無だったからだ(実際に誤訳がないかどうかは分からない)。これは簡単なようでいて、現実にそれを達成している翻訳書はそんなに多くないことを考えると、高く評価できる。
スキャンダルすれすれ ★★★☆☆
 内容を列記したようなレビューが目につくが、何度も言うように、自分の読書力でレビューをまとめる努力してみてはいかがと、提案する。 
 それにしても心理学を学んだ者なら、どれも目新しいものではないが、実験後の後日譚としてまとめているのが、新しい観点である。しかし、その叙述が読者を納得できるものかとと言うと話は別であり、特にロフタスについては、執筆以前からの偏見が感じられる。関係者の心理と倫理的観点が筆者の中では区別されていないようであり−それは、ノンフィクションとしての価値を落とすものではないが−、後書きにもあるように、一歩間違えると、単なるスキャンダルを追いかけたきわものと見られなくもない。
 このような書物こそ、読者の識見が試されるものであろう。
研究者を語るエッセイとして ★★★☆☆
本書はスキナーの行動心理学に始まる、実験心理学・社会心理学の歴史を10例の有名な研究を紹介しつつ概観するといった内容になっている。取り上げている内容は、カンデルのシナプス結合強化理論やスキナーのオペラント実験など実験科学の領域に入るものから、フェスティンガーの不協和理論やミルグラムの権威者による強制服従実験など、社会心理学に入るものまで多岐にわたる。

本書で特徴的なのは、スキナーの娘にコンタクトしたり、実際に研究に従事した研究者や参加者にインビューしてその実験について「語り」が多用されている点。これは教科書などでは知りえない内容だけに興味深く読むことができるだろう。ただ、筆者は特定の研究者に強い思い入れや先入観を持っているようで、それが本文中顕著に現れてしまっており、研究内容そのものの紹介ではなく、人物について好きか嫌いかのイメージを強く打ち出して筆を進めてしまっている。そのため、学術的に正当な評価が与えられていなかったり、研究内容を知らない読者には誤解を与えてしまう恐れが多分にある語り口になってしまっているのが残念である。

あくまで筆者の好みでジャンルを選定したエッセイ、と心得て読むべき。一般科学書として手にとったのならば、書いてあることの半分以上は割り引いて読むようにしたい。