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ミャンマーという国への旅

価格: ¥3,240
カテゴリ: 単行本
ブランド: 晶文社
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1920年代のビルマと1990年代のミャンマーを知るためのルポ ★★★★★
かつてのビルマを題材に3冊の本を書いたイギリス人作家ジョージ・オーウェル。彼は英領インド帝国警察としてビルマで働いていたが、突然、小説家に転じ、「ビルマの日々」を書いた。オーウェルがミャンマーで見たものは何だったのか。本書はアメリカ人ジャーナリストが、オーウェルの足取りを追うためにビルマに入り、そこで見たものを綴ったルポタージュ。

ミャンマーについて知りたくてこの本を手にしたのだが、イギリス領時代のビルマと、今のミャンマーについて詳しく知ることができた。軍事政府による厳しい情報規制や、市民の政府に対する恐怖心などは、今の日本では到底考えられない。
「話すなんて大したことじゃない。だが話すってことがどれだけ大切なことか!」 ★★★★★
例えば私たち日本人が海外赴任で5年間、全く文化や環境の異なる国へ行くとしよう。
それが自己の思考に徹底的な影響を与え、光よりもむしろ影を心にもたらす様なことが果たしてあるのだろうか。
 
George Orwellがいた1920年代のビルマは、実り豊かな国土と、
仏教により高い識字率をもつ、物心両面で「豊かな国」であった。
しかしオーウェルはビルマでの赴任を突然自らの意志で打ち切り、
本国イギリスで作家となり“救いのない結末”の作品を多く世に出すに至る。なぜか?

それは「孤独」が大きく影響したのではないか?
オーウェルはビルマ赴任を自ら希望したという(通常の英国人ではありえない)。
そこには自ら孤独を求め、未知の世界に飛び込もうとする若い矜持もあっただろう。
だがビルマで彼が出会ったのは、自分を囲む目に見えない「壁」だったのではないか?
人種の壁、文化の壁、言葉の壁…それらももちろんあった。
しかしオーウェルを取り巻き見えない圧力をかけたのは「監視の目」だったと私は考える。
自分は一挙手一投足を見られている。でも自分の方から見ようとすると、
相手は逃げ水のように離れていく。
誰が見ているかはわからない。でも確実に見られている。
双方向の人間的なコミュニケーションがとれず、見られる一方の状況。まさに監獄だろう。

でもよく考えると、残念ながら現代の日本でも、オーウェルを苦しめたような状況を作ろうとする人は多い。
見た目や考え方が異なる人を、ヒソヒソ話や噂話で囲い込むような状況。
シカトなんか、まさにそうだろう。
 
でもオーウェルはただでは終わらなかった。
自分を孤独に追い込んだ監視の目を、国家が国民を監視する世界=1984年 にまで広げて発想した。
彼は様々な形の“孤独”が描ける作家に成長したのだ。
今こそ日本人は本書を読もう。 ここにもある「ビルマ」。 ★★★★★
昨年9月、ビルマ(私は独裁政権が変えたミャンマーなる名称は使わない)でジャーナリスト長井健司氏が射殺された事件を忘れた人はいないと思うが、事件当時、私は長井氏は偶々、その場の目立つ動きが治安部隊の目にとまり襲撃されたのではないかと推測していた。しかし、その後の報道を追跡すると、どうやら最初からマークされていた節がある。

そこで、私は2006年11月に取り寄せたまま、余りに重いテーマなので読みかねていた本書が枕元に積んであるのを思い出し、漸く通読した(余談になるが、偶々、数ヶ月前に別の理由で「1984年」も読んでいた。読書にも熟成期間が必要なのである)そして結論したのは、気に食わない外国人ジャーナリスト暗殺説も十分ありうるということだ。

本書の底本がジョージ・オーウェルの最有名な「1984年」であることは、他の評者が詳しく書いてくれているので省略するが、近年、我が国でも米国からの内政干渉といえる年次改革要望書による、グローバルスタンダード、成果主義、個人情報保護などの美名の下、物言えば唇寒しのビルマ的状況が急速確実にビジネスの現場でも進行してきている。そして悪名高いビルマ軍事政権の後ろ盾は反日を国是とする隣の大国である。色々な意味で、対岸の火事ではないのだ。

本書を読む前に、底本の「1984年」(4150400083)を読んでいないと意味不明になるのは当然として 、もう一つ「大東亜会議の真実 」(深田祐介著4569634958) もお薦めする。英領インドの一部としてのビルマを巡る当時の日本の立場について、米国人である著者の視点は、飽くまで連合軍側のものでしかないからだ。 もう一つおまけに東独の秘密警察シュタージを暴いた良書がいくつか出ている。併せて読むと、著者が取材旅行で感じた恐怖感がリアルになる。
『ジョージ・オーウェルをビルマに探して』 ★★★★★
 原題は『Finding George Orwell in Burma』、直訳すれば『ジョージ・オーウェルをビルマに探して』とでもなろうか。本書のテーマは、英国の作家オーウェルとビルマ(=ミャンマー)の2つである。なぜ作家とビルマの二つが結びつくのか?オーウェルについて知っている人には当たり前だろうが、オーウェルはパブリックスクール卒業後、大学には進学せずに当時大英帝国の植民地であったビルマに渡り警察官になったのである。5年間の勤務後、彼は英国に戻り、『ビルマの日々』という小説でもって作家デビューをする。この事実を知ってから本書を読めば、興味は倍増するだろう。
 読者は、著者と一緒にオーウェルを探す旅を最後まで追体験することになる。オーウェルがビルマに滞在していた1920年代と、米国の女性ジャーナリストが旅する現在のミャンマーが、同じ場所を巡って、時代をこえて交錯する。現地の人たちとの交流と対話をつうじて、ビルマ近現代史が浮かび上がってくる。
 オーウェルは1940年代に発表した代表作である『動物農場』『1984年』といった作品の中で、執筆当時のスターリン統治下のソ連を念頭において全体主義社会の恐怖を描いているが、本書を最後まで通して読めば、作中に初紹介された、ビルマ人のジョークの意味がよくわかってくるはずだ。「オーウェルはビルマについて一冊の小説を書いたが、実は三部作だ。すなわち、『ビルマの日々』『動物農場』『1984年』だ」、と。ソ連は崩壊したが、決して全体主義社会が地上から消え去ったわけではないのだ。
 軍事政権下のミャンマー(=ビルマ)がいかなる状況にあるか、読者は事実について著者とともに一つ一つ知っていくことになるだろう。オーウェルについて知っていればなおさらのこと、知らなくても、特にミャンマーとビルマがストレートに結びつかない若い人たちに読んで欲しい作品である。一日も早く軍事政権の支配が終わることを願いつつ。

ミャンマーではなくビルマと呼ぶべき理由 ★★★★★
ビルマに行った観光客は言う、
「聞いていたのと全然違うよ、皆、普通に暮らしてるし、
街は人も多くて賑やかで、軍事政権も案外受け入れられているみたい」
著者はビルマ駐在時代のジョージ・オーウェルの足跡をたどりながら、
それが全くの間違いであることをはっきりと述べている。

軍事政権と麻薬組織(供給量世界第2位)によるすべての冨の搾取と権力の私物化、
隅々までに張り巡らされた民間人同士の相互監視と密告、その後の拷問。
徹底的な言論統制、軍が下す少数民族虐殺命令、一般人の強制徴用。
21世紀の現代に7歳の子供を道路工事に強制徴用する国がいったい何カ国あるというのか。
恐怖政治の極限が繰り広げられている状況は、まさにオーウェルの「1984」の世界である。

しかし、現在の国際社会ははビルマの存在を見ないようにしているのではないか。
50年もの長い間続いている圧政とそれに苦しむ人々を忘れ、
目先の利益から裏で軍事政権と手を結んでいるのはないか。
自分達さえ良ければ他人などどうなってもいいと思っているのではないか。
目の前に厳しい質問を突きつけてくる作品となっている。
ビルマに行ったことのある人、これから行く人ともに必読と言えるであろう。