聖書を読むだけでは民衆相手に説教をしたのはファリサイ派かイエス1人のように理解してしまいますが、当時のイスラエルでは、先生(ラビ)に弟子が付き従い、旅をしながら民衆に説教をするということが多々あったそうです。イエスもそのような先生の1人だろうと言います。イエスが生きた時代のガリラヤではハシディームという一派がいました。このハシディームはファリサイ派とも距離を置き、律法の遵守ではなく、行いの重要性を説きました。また奇跡と癒し物語を持っているなど、聖書に書かれたイエスとよく似ています。著者はこのようなことからイエスは、このハシディームの中の先生ではなかったのか、と分析しています。なお、ここでのハシディームは18世紀東欧で創設され、現在まで続く敬虔派ハシディームとは異なりますので注意してください。
ところで、イエスが話していた言語は通説ではアラム語だと言われていますが、著者はヘブライ語だったと主張しています。に出てくるピラトの書いたイエスの罪状書きが「ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていた」(ヨハネによる福音書19章20節)ことなどを根拠としています。