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失われた福音書―Q資料と新しいイエス像 新装版

価格: ¥2,940
カテゴリ: 単行本
ブランド: 青土社
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とても良い本だと思います ★★★★★
他のレビュー者からは散々な評価ですが、私はこの本の内容は大変評価してます。確かに、従来のイエス像を破壊し、イエスを単なる犬儒派の類に貶めてしまうのは、敬虔なキリスト教徒やこういうマニアックな本にわざわざレビューを書くような神学に造詣の深い人には許せないかもしれませんが・・・。私はキリスト教徒ではないですし最近聖書を読み終えたばかりですが、福音書の物語は、それこそ古事記や日本書紀の神武東征や聖徳太子の逸話並みに荒唐無稽な神話としか見えませんでした。荒唐無稽なフィクションに過ぎない福音書に書かれた内容自体に歴史的な事実があるかどうかをいくら分析しても全く無意味でしょう。本書には、いろいろと独断のように見える部分が多々あるように思えますが、福音書はそもそも荒唐無稽な神話の類な訳ですから、著者の取ったように社会学的な方法で分析するしかないでしょうね。
「Q資料の実在」はそもそも自明の真理ではない。 ★☆☆☆☆
 二十世紀の新約聖書学においては、ニ資料説と呼ばれる学説が圧倒的な主流を占め、事実上、議論の余地の無い大前提として扱われてきました。マックの所論も、二資料説を前提とした論であり、二資料説そのものが崩れれば、本書の議論は完全に瓦解します。

 二資料説は、マタイ福音書とルカ福音書は、マルコ福音書およびQと呼ばれる仮説上の資料をもとにして書かれたとする主張です。

 しかし、その主張は、Qが実際には発見されていないこと、古代教会教父たちの一致した伝承にまったく反することを含めて、数多くの難点を抱えており、この説に反対する学者も、William.R.Farmerや、Bernard Orchardをはじめとして、少数ながら存在してきました。しかしこのことは、特に日本の読書界においては、残念ながらほとんど知られていません。

 David Alan Blackは、アレキサンドリアのクレメンスなどの古代教父の伝承の正確な再読・再検討を通じて、Bernard Orchardのテーゼを発展させ、マルコ福音書はルカ福音書の正統性を教会共同体に示すためにペトロによって行われた講話の記録であるという説をWhy Four Gospels?(Kregel Publications)においてすでに打ち出していますが、ファーマーの弟子たちの研究グループは、福音書テクストそのものの徹底した編集史的検討によって、マタイ福音書に基づくルカやマルコの作業を再構成し、Q仮説を不要とする論を見事に組み立ててみせた画期的な著作を出版しました。Allan J.McNicoll,Beyond the Q ImpasseおよびOne Gospel from Two(Trinity Press)参照。

 ファーマーたちのグループの仕事は、本書のようなQ仮説に依存した二十世紀の批判的福音書研究の多くに対して決定的な疑問を提起するものです。マックをはじめとするイエス・セミナーの主張の根拠薄弱さに関しては、Philip Jenkins,Hidden Gopels:How the Search for Jesus Lost Its Way(Oxford UP)を、二資料説が反ユダヤ主義と文化闘争に支配された当時のドイツで台頭してきた背景事情に関しては、David Laird Dungan,A History of the Synoptic Problem: The Canon, the Text, the Composition, and the Interpretation of the Gospels (The Anchor Bible Reference Library)を参照されることをおすすめします。

まずは読んでから ★★★☆☆
聖書学が群雄割拠状態にあるのは確かで、それだけになおのこと出る本も玉石混淆。よく選別してかからないと怖いのは確かですね。近頃話題のアメリカの「イエス・セミナー」関連の本は確かに毀誉褒貶が激しくて、定評のある研究書と同列には置けないのでしょうが、今日では古典とされてる研究も出た当初は白眼視されたものもあるはず。評価は時代が決めるのでしょうが、話題の本である以上、まずは読んでみたいものです。
確かに疑問 ★☆☆☆☆
いろんな意見があるようですが、私も読んだ限りでは説得力感じませんでした。
一口に「ブルトマン学派」と言っても、ブルトマンとその弟子達は一枚岩でなく、特に史的イエスの問題を巡っては弟子のケーゼマンやコンツェルマンらと激しい論争を続けたはずです。「ブルトマン主義」などという立場がそもそもあるとは思えないし、肝心なのは、その人がどんな履歴の人かではなく、議論そのものが説得力のある論拠を十分に示しているかどうかということでしょう。この点では確かにこの本は落第点だと思います。ただ、「珍奇ネタ」と決め付けるのもどうかとは思いますが・・。
ところで、ローマ法王パウロ6世はバルトを「20世紀最大の神学者」と呼んだそうで、これを聞いたバルトは「法王不可謬説というのもまんざら間違いでないのかも」と皮肉交じりに語ったそうな・・。ハイデッガーとブルトマンは学友であり、ハイデッガーは自著『現象学と神学』をブルトマンに献呈しています。
もっとマシなものを読むべき ★☆☆☆☆
結論から言えば、まったくの眉唾モノ。その主張のほとんどはマックの独断であり、手堅い文献批判や同時代資料の精査に基づく研究とは異なる。20世紀以来の様式史、編集史などの福音書研究は厳密な文献批判をベースとしたがゆえに、イエス伝の再構成についていかに破壊的な結論を引き出そうと、否定し難い説得力を持っていた。ブルトマンの『共観福音書伝承史』(1921年)が今日なお古典としての地位を揺るがせにしていないのはこのためである。同じアメリカのクロッサンにしてもそうだが、こんな似非福音書研究をあたかも新約学の新たな古典であるかのように吹聴する輩がいるのは困ったものである。一時の話題にはなるだろうが、すぐ忘れられる類の珍奇ネタ本。