存在論的な心の哲学(?)よりずっと面白い言語論
★★★★★
内容は大きく2つに分類できる。
1つ目は前著『言語行為』の理論の応用発展の面で、1章「発語内行為の分類法」及び2章「間接的言語行為」が代表的である。前著後半「応用編」のような論争形式ではなく体系的理論展開の形式となっていて、前著での発語内行為の成立条件の分析を応用して目に見える成果を上げている。
より魅力的なのは2つ目の側面「理論の周辺や背景に見えてくるものの提示」で、4章「隠喩」と5章「言葉どおりの意味」が代表的である。どちらも「言葉どおりの文意味と話し手の意図する意味の区別」を自説の中心に置き断固擁護する形で立論しているので一見反ウィトゲンシュタイン的だが、しかし実の所ウィトゲンシュタインの規則適用論や確実性論と共通する問題を具体的かつ突き詰めた形で示すものである。
4章「隠喩」は言語拡張メカニズムにも関わる興味深いテーマである。本章でサールは「冷たい心という隠喩はなぜ理解できるのか?冷たい氷と何か似ているのか?共通点があるのか?」といった問いから、最終的には類似性概念の原初性にたどり着き、言語理解の根底に人間の感受性に関する生の事実、反応の仕方の共有があることが示される。
5章は『志向性』に引き継がれる論点で、「ハンバーガー1個下さい」という発話が商取引の制度や食べ物に関する常識を背景に持つといった例を通じて、一般に言葉どおりの発話の意味が限定不可能な暗黙の背景的仮定に相対的にのみ確定することが示される。そういうと全体論とか文脈主義のレッテルで済まされるかもしれないが、周辺論点(タイプトークン区別や指標性など)との切り分けといった理論的緻密さや、具体例(「猫がマットの上にいる」「ドアを開けなさい」「3+4=7」など)展開の親切さは、やはりサールならではのものである。
地味なところが気になる
★★★★☆
有名な「中国語の部屋」の思考実験を考案した人の著作、というつもりで読むと、内容の地味さにちょっとがっかりさせられるかもしれない。
隠喩について、またフィクションの論理的身分について、という項目があったので買う気になったのだが、私にとっては謎が増えるばかりだった。もちろん著者の責任ではない。
Speech acts,Intentionalityとの三部作のうち、二冊目ということだが、もしかしたら最後に読んだほうがもう少しすっきりするのだろうか。ひとつわかったのは従来の言語分析は十分ではないということだ。ちなみにIntentionalityは一番腑に落ちやすい本だがそれでももやもやしたものが残る。
AI万能主義者―正確な表現ではないが、一応そう言っておく―は、理論をアクロバティックに操る。章ごとに新規なテーマを出し、鮮やかに割り切ってみせる。いや、だからこそAI万能主義者なのだが、その手際があまりにあざといので、根本にある謎が解明できないのを隠すためわざと身振りを大きくしているのではないかなどと私は思ってしまう。
そういうひねくれ者には向いているが、いかんせんこの地味さは分が悪い。Intentionalityの日本語訳の解説中に、「中国語の部屋」は『マインズ・アイ 』という本の中でホフスタッターに徹底的に批判されている、とある。訳者にしてそういう見解なのかと情けなくなった。ホフスタッターのは反論の身振りだけであり、理屈として全然通っていない。パズルのピースをもてあそんでいるだけである。それがわからないのでは話にならない。
へんな話だが、第五章にthe cat is on the matの著者自身によるイラストがあって、その下手さ加減に思わず笑ってしまった。と同時に、この人の説を信じてみようという気になったのである。