「西欧化」の概論として
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ハーヴァード大学歴史学部長による日本の「西欧化」史の後篇。著者の得意とする現代日本の経済史、労使関係が盛り込まれており、上巻よりさらに読みごたえがある。下巻では世界恐慌から戦争突入、40年体制による官主導の経済政策が戦後も続き高度経済成長を支えたこと、バブル崩壊から「失われた10年」までを俯瞰する。
総じて冷静な筆致であり、戦争突入も日本側の「アジアの解放」理論を紹介しつつも、実質は列強の植民地支配の真似ごとで、アジア諸国の支持は得られなかったことなどを中立に紹介する。
そして、「奇跡」と言われた戦後の驚異的な復興を描く時は日本に対して温かく、著者の専門である企業と労働者側の関係の変遷については多くのページが割かれている。
高校生の副読本として、社会人の教養書としてお勧めしたい一冊である。
名著
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原題に表現されるように本書は近代日本の特殊な経験ではなく、グローバルに展開された近代史の日本における展開を描き出そうとする。そのような問題意識によって、日本の近現代史の激動を世界における近代の経験と比較する視座が提供され、日本史特殊論に陥ることなく、日本近代史において何が各国の経験と共通し、何が日本に固有な点なのか、何がその固有な点をもたらしたのかを丁寧に解き明かしていく。
下巻の射程は、昭和恐慌から現代までである。20年代の社会の混乱状況を克服すべく、様々な論者、勢力が社会秩序の「革新」を企図する中で、結局近衛の「新体制運動」に取り込まれ戦争に突入していった過程が鮮やかに描写されている。「貫戦史」というアプローチも興味深い。この視点によって、戦後日本に見られた、計画経済と自由主義の折衷的なシステムの形成される歴史的構図を提示することに成功している。また、政治史・経済史としてのみならず、日本の戦後史を復興と高度成長に伴う社会や国民意識の変容までも射程に収めて描き出す著者の力量には感服を禁じえない。
著者も意識しているように、祖国に誇りの持てる歴史を作ろうとする動きが今、強まっている。だが、著者は「様々な思想の、人々の、製品の、あるいは技術の相互作用や流れのどれ一つを考えてもわかるとおり、歴史とか遺産というテーマを特定の国境線の中に閉じ込めるなどということは結局は不可能なのである」という。日本の経験は決して特殊なものではなかった。本書を貫く「グローバルに展開した近代史の一環としての日本史」という視座は、日本の未来を考える上でも重要な示唆を与えてくれる。日本はこれからどこへ行くのか?日本は自らの来歴をどのように捉えるべきなのか?岐路に立つ今、本書を土台に「人は、自分が生まれながらに受け継いだものに誇りを抱きたいという願望と、過去における不平等、不正、権力の作用について正直に検討する必要性との間のバランスをどのようにしてとるべきなのか」と言う問いについて考える必要がある。日本が世界の人々と共に歩んでいく中で、そうした作業が徒労に終わるはずはないし、ましてや「自虐」などでは決してないに違いない。
これからの基本文献
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よい意味でよくできた教科書。バランスの取れた(あるいはケチのつきにくい)立場、年代記と各トピックの振り分けがうまく組み合わされ流れをつかみやすい構成、印象的なエピソード、著者の寛く目配りのきいた史眼。とくに昭和からを扱った下巻は、著者の専門分野に近いこともあり自家薬籠ということばがピッタリだ。自国アメリカの歴史にもほどよく釘を刺す(こうしたユーモアを「自虐」とか呼ぶセンスは何とかならないのか)距離感は、世界中の読者にも好もしかろう。日本を特別視するのでなく、世界全体の近現代史の一つのヴァリエーションとして日本近現代史を位置づけようという著者の試みは、じゅうぶんな説得力を得ている。果たしてこれと比較されることになる「つくる会」はどう反撃するのか、楽しみである。
アメリカなど、日本以外の国の大学生レベルを対象に書かれているようだが、読みやすい部分は副教材や資料として日本の中高生、いや学生にも大人にも読んでもらいたい。なにしろ現代史がまるっきり分からないのが、日本の国史教科書(というより同時代への自由な評価や批評を教科書に許さない検定制度そのもの)の大きな欠点である。それを補う意味でも、これからの基本文献のひとつとして読まれてほしい。