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科学的世界像

価格: ¥4,410
カテゴリ: 単行本
ブランド: 紀伊國屋書店
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反実在論の擁護 ★★★★★
本書でフラーセンは、論理実証主義をも科学的実在論をも否定する。彼が採用するのは、科学とは「経験的十全性(これまでの経験をきちんと説明すること)」を満たすモデルの提供であるとする構成主義的経験論である。
構成主義的経験論のメリットは、観察不可能なものについては、その実在性にコミットすることなく、理論にはコミットできる点にある。なぜなら、構成主義的経験論においては、理論とは、現実を真なる方法で説明するものではなく、経験と合致するモデルを提供するだけだからである。

さて、筆者は論理実証主義の構文論的アプローチ(用語間の関係のみを分析して科学を解き明かそうとする方法)を批判する。なぜなら、言語依存的な方法では、言語の周りをぐるぐる回るだけで、科学の本質へは到達できないからだ。科学を分析したければ、現象をより大きく見る必要がある。

また、筆者は科学的実在論も批判する。科学的実在論と反実在論の差は、直接には観察不可能なもの(例えば電子)に関する実在を認めるか否かである。
彼は、想定される実在論からの反論にこたえる形で、自身の構成主義的経験論を擁護する。


まず、観察可能と不可能の境界は引けないという反論があげられる。だが、これについては、その境界が「あいまい」であることは意味するが、だからといってその区別が無意味であることは意味しないという。これは滑り坂理論の誤謬である。(p47)
また、観察可能と不可能の境界が、原理的には壊されうる(例えば、人間が電子顕微鏡の目を持っているという状況を考えることで)という反論には、科学の目的は経験的十全性、つまり人間にとって観察可能なものについての充足、だから問題ないとする。

次に、説明を観察可能な領域で中途半端に止めてしまうのは不合理だ、という反論があげられる。これに対しては、電子による説明でも、やはりあるところで説明を止めてしまっているのは同じだ、と指摘する。説明をせずに規則性を前提にしてしまっているのは、実在論も同じだ、ということだ。

また、「実在を想定しなければ科学の成功は奇跡になってしまう」という奇跡論法には、進化論的説明を与えることで、つまり、科学理論が生き残ったのは、それが現実との照合というテストをくぐり抜けたからなのだ、という説明を与えることで、実在論にコミットせずに科学の成功を説明する。


現実的な反実在論の提示として、非常にうまい本だと思う。
ラカトシュ賞をフラーセンが受賞したのも納得である。

ただ、この奇跡論法批判には疑問が残る。
まず説明には「構造的説明」と「系譜的説明」の2つがある。前者は、「いかなる構造が、そのことをなしうるのか」を説明する。後者は、「その構造は、どのような歴史をたどって作られたのか」を説明する。後者が行っているのはあくまでも「説明される対象が、なぜ今ここに存在するのか」の説明である。
進化論は、説明される対象の存在を、その対象の持つ構造的優位性によって説明するものであるので、系譜的説明には、構造的説明が含意される。自然の規則性をとらえているかのテストを生き抜いた理論は、なぜその理論は自然の規則性を正しく捉えられているかを構造的に説明できることを含意するのだ。そしてここで実在論の必要性が出てくる。
構成主義的経験主義 ★★★★★
科学における反実在主義の著者が記した体系的科学哲学書。短絡的な経験主義では多くの場合破綻するが、この著者が提唱する構成主義的経験主義はその困難をクリアする。多くの科学哲学者が実在主義を指向する中で、一読の価値のある良書だ。