翻訳がひどい。
★☆☆☆☆
愛するヘッセで、愛する「デーミアン」を、ここではどう訳してくれているのだろう、新たな出会いが出来るかもしれないと、とても期待して購入したが、翻訳はひどいものだった。直訳調で、日本語としての完成度は低い。例えば第一章の初めは、こう訳されている。
「私が十歳で、私たちの町のラテン語学校に通っていた頃の体験から話を始めよう。当時のいろいろなものが私に向かって匂ってくる。暗い路地、明るい家や塔、時計の音、人の顔、住み心地のよい温かな快適さに満ちた部屋、秘密と幽霊に対する深い恐怖に満ちた部屋などが、心の内から痛みやおののきをもって私を揺り動かす。(4行略)片方の世界は生まれた家だった。いやそれはもっと狭いもので、実際は両親を含んでいるにすぎなかった。」
今は絶版の講談社文庫版で、秋山英夫氏はここをこう訳している。
「年齢(とし)は十歳(とお)、ふるさとの町のラテン語学校に通っていた頃の、ある体験から、僕の話を始めることにしよう。あの頃のにおいが、どっと僕に吹きつけてくる。何やかや、悲痛な思いと、快いおののきで、僕を内からゆさぶるものが、いろいろあるのだ。薄暗い横町もそうだし、明るい家や塔もそうだ。時計の音やさまざまな人の顔、ぬくぬくとして居心地のいい部屋も、おばけの出そうな、神秘に包まれた部屋もそうだ。(3行略)一方の世界は、父の家だった。といっても、もっと狭い世界で、本当は僕の両親だけしか含んでいないのだ。」
翻訳は、新たな文章の創作活動だ。単なる置き換えではない。意味の伝達ではなく、作品世界と感覚の伝達でなければならない。特に、ヘッセの世界のように、深く温かい名作小説を訳すときには。大変に残念な出版物である。